| メイン |

2008年02月19日

旧約聖書にみる、シュメール文化

こんばんは~ みつこ 😀 です。
ちょいと突然ではありますが、今日はメソポタミア文明について
みなさん、『旧約聖書』 って知ってますか?
どのように神が人間を作ったか?とか、出エジプト記だとかが書かれてあるものです。ユダヤ教の聖典でもありますよね。
を正当化するために作られた『お話』だろう~って風にしか思っていなかったのですが、実はメソポタミア文明の担い手であるシュメール人たちの文化の影響も結構あるようなのです
案外そこを抽出すれば、当時のメソポタミアの様子をもっと探れるかもしれません 😉
一緒に探ろう!って思われた方、ぜひポチっとお願いします
Blog Ranking
にほんブログ村 歴史ブログへ
ありがとうございます

 にほんブログ村 歴史ブログへ


1.シュメールが作った七曜
旧約聖書では神は七日間で世界を創造したとされています。
>まず一日目に混沌(闇と水)の世界に、光をもたらし、昼と夜が創造された。二日目は水が上下に分けられて天と地が創造された(雨は上に水が存在するため降るとされる)。三日目は地と草、種をもつ草、果樹が、四日目は太陽、月、星が創造された。五日目に水中生物と鳥が創造され、六日目に大地に住まう生物(野獣や家畜など)と、神が自らの姿に似せ、地上の塵から最初の人間≪アダム≫を創造する。そして七日目、神は世界を見渡し「全て良し」と、休息した。(サルヴァスタイル美術館さんより)
そもそも1週間を7日としたのは、シュメールなんですって☆ 知らなかったぁ~
その他、私たちが今使っている時間 の60進法もシュメール。
2.ノアの箱舟の元ネタ?!
シュメール人が残した粘土板に『ギルガメシュ叙事詩』といわれる物語があって、そこにノアの箱舟とそっくりの話が載っているんですって。
>まず、神のお告げです。
「シュルパックの人、ウパラ=トゥトの息子よ、家を打ち壊し、舟を造れ。…すべての生きものの種を舟に積み込め。おまえが造るべきその舟は、その寸法を定められた通りにせねばならぬ。…
六日六晩にわたって、嵐と洪水が押し寄せ、台風が国土を荒らした。七日目がやってくると、洪水の嵐は戦いに敗れた。…そしてすべての人間は泥土に帰していた。…舟はニシルの山にとどまった。…七日目がやってっくると、私は鳩を解き放してやった。鳩は立ち去ったが、舞い戻ってきた。…私は大烏を解き放してやった。大烏は立ち去り、水が引いたのを見て、ものを食べ、飛び回り、かあかあ鳴き、帰ってこなかった。そこで私は…、生け贄をささげた。」(ギルガメシュ叙事詩の洪水物語、高橋正男訳)
 聖書にも大嵐がおさまったあと、ノアが鳥を飛ばして陸地が現れたかどうか確かめる場面があるんですが、こんな細かいところまでそっくり。
                                 (世界史講義録さんより)
このことをもって旧約聖書はギルガメシュ叙事詩のパクリだという人もいるそうです 。うーん、どうなんでしょうね。私的には、どうでもいいことではありますが 。ただ、古代のこの地方は本当に洪水 が多かったのでしょう。それは肥沃な土地(恵み)をもたらしてくれるけれど 、一方で生活に与える被害も大きく 人々の意識や統合様式にも影響を与えていたのだと思われます。だからこそ題材として伝えられてきたのでしょう。
3.バベルの塔のモデルはジックラト?!
T641473A.jpg
>(ノアの子孫である)ニムロデ王が自らの名を上げるため、「石のかわりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを」と当時の最新の技術を用い、天まで届く高く大きな塔の建設に着手する。この傲慢な企てに神は怒り、人々の言葉を混乱させ、塔の建設を阻む。このバベル(混乱の意)の塔の物語は、世界中で使用される多様な言語の誕生物語でもある。またバベルの塔は古代メソポタミアの中心都市であったバビロン(アッカド語で神の門の意)に存在すると云われ、ジッグラトという階段状の建造物だったともされている。(サルヴァスタイル美術館さんより)
多言語化はこじつけな気が・・・します 。が、実際アスファルトには防水効果があって、ジックラトの城壁に塗布されているんですよ!( 写真の黒い部分がそうです )。
4.アダムとイブが追放された『エデン』は、シュメールのこと?!
>旧約聖書をつくったのはヘブライ人という人たちです。かれらは前10世紀頃に自分たちの国家を建設するんですが、それ以前は部族ごとに分かれて牧畜などをしながらメソポタミア地方からエジプトにかけて放浪生活をしていた。豊かなシュメールの土地に住みたいけれど、そこに入り込むだけの勢力がなかったんだろう。なぜ、自分たちはあの豊かな土地に住めないのか、という不満・不運を自分たち自身に納得させるため楽園追放の物語がつくられたのではないかと思います。(世界史講義録さんより)
ここから抽出できるのは、シュメールの豊かな土地は、諸部族が狙い 、奪い合う 対象であったという事実。
>恐らく、シュメール人はヒプシサーマルの終了時期に、このウバイドの豊かな農耕地帯を目指してチグリス・ユーフラテス流域に移動してきた遊牧民であり、最終的にウバイドを駆逐(又は服属)し、彼らの灌漑農耕技術も取り入れていった(技術略奪していった)のではないだろうか。
この時期には、シュメール以外の遊牧民(ヘブライやアッカドの前身)も豊かなウバイドの土地を目指して集中したものと考えられる。その中で制覇していったのがシュメール人だったのだろう。

るいネット『メソポタミア略奪闘争の歴史 ~その豊かな土地を巡って~①』
ふぅ~、メソポタミア文明って、略奪闘争→私権国家の誕生の歴史そのものなんですね。そういった文化・歴史を土壌に『旧約聖書』が成立しているというのは、一神教崇拝の必然性ともつながって、大変興味深いです
参照させていただきました
「サルヴァスタイル美術館」さんの『旧約聖書』
「世界史講義録」さんの『第4回メソポタミア文明』

投稿者 mituko : 2008年02月19日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2008/02/452.html/trackback

コメント

王朝がありながら、母系集団の色を残すというところが面白いですねー
にしても、遊牧という生産様式をもつ民族と他の狩猟や採取民族との違いは思いのほか大きいのですね。改めて感じました。

投稿者 さーね : 2008年3月13日 21:59

参考になりました

投稿者 もらい : 2008年5月20日 17:32

コメントしてください

 
Secured By miniOrange