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2008年08月05日

文字の誕生②~トークンから絵文字へ【前編】~

こんばんは、カッピカピです。
 みなさん、お待たせしました。文字の誕生シリーズの第2回目です。タイトルはズバリ、『文字の誕生②~トークンから絵文字へ~』です。
 第一回を見逃してしまった人は、ぜひ、『文字の誕生①~記録の必要性から文字が生まれた~』を読んでから、今回の記事を読んで下さいね。
 それでは、はじまりです。っとその前に、いつものポチッをお願いします。
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 トークンとブッラがなんであったかの謎解きについては、イランの古都スサから出土したブッラによってはじまったと言われています。
 まずトークンについて。最初は研究者の間でも、なんだか分からず、何に使ったのかも分からないまま、長い間、世界中の美術館、博物館に収蔵されていました。よく分からないけど、意図的に作られたものということだけは推測できたので、とりあえず、集めて、保管しておいたそうです。
 時代的には、紀元前7500年くらいの時代から始まって、紀元前3000年頃までの層からまんべんなく出土し、地理的には、メソポタミア全域から、かなり広範囲にわたって、出土したそうです。
 これらのことから、紀元前7500年~3300年頃まで、メソポタミア地方にて、さまざまな幾何学的な形をした粘土を固めたオブジェのようなものが使用されていた、と言うことが出来ます。「トークン」とは、これらの粘土の小さなオブジェの一般名称です。
 そのようなオブジェが、数えてみると、発見されているだけで約8000個あり、形の種類は大体300種類くらいあるそうです。
 研究者の間では、物を集めたときの記録用かなぁ。くらいに考えられていました。
 ただ、そう考えられるようになるまでには、かなり長い年月を要しました。長い長い研究の末に、この考えにたどり着いたのですが、そのキッカケは、このオブジェを収納した丸型の封筒(同じく粘土製)の発見でした。
 
 この封筒は、大体紀元前3500年頃に集中しています。
トークンが、まんべんなく紀元前8000年紀からずっと発見されているのに対して封筒は、3500年頃にしかありません。
 このことから、紀元前3500年頃にトークンを粘土製の封筒に入れる習慣があった、ということが出来ます。『ブッラ』とは、この丸型の粘同性の封筒の一般名称です。
 この丸型の封筒は150個ほど発見されたそうで、その中には、中に入れたトークンを、封筒の表面に押し付けて、印としたものがあったそうです。こうすることで、中を開けなくても、何が入っているか分かる、というわけです。(例えば、丸いトークンを中に入れる場合は、丸いトークンを押し付けて、丸い型が残す、といった具合に。)
 そうこうしている内に、誰かが言いはじめます。
「もう中に入れなくても、型押しだけして、記録として残しておけばいいじゃん。」
って。だから、封筒の習慣はこの一時期だけで、すぐに廃れてしまったのだと思います。
そこで、登場するのが・・・・・『粘土版』です。  to be continued
(ここまで来れば、もう絵文字まですぐですよ。)

投稿者 hi-ro : 2008年08月05日 List  

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コメント

インカの社会のしくみがだいぶ明らかになりました。ところで以前インカの交易について、投稿をしたのですが、「交易」というイメージと、インカの社会構造がなんとなくしっくりこない感じもあるので、もう少し調べてみます。

投稿者 ホシノ : 2008年9月18日 22:36

インカ時代に築かれた総長40,000kmの道路網について、大規模な交易があったという考えもあるようです。
しかし、
大量に物資を運ぶなら、道路は階段状にせずスロープにして台車を使ったハズだし、珍しい物を高価に売りつけるなら道路はあまり整備せず、滅多に人が行かないような状態の方がいいはずですよね。
道路網=物資の行き来=交易と考えるのは現代人の偏見ではないでしょうか?
むしろ、
道路網=共認ネットワークではないか?と考えています。

投稿者 tamura : 2008年9月20日 01:04

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