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縄文時代の「よくわからない石器」~争いに触れてしまった縄文人の意識

るいネットの投稿「土偶に見る収束不全」 [1]
は、縄文後期の意識状況に近いんじゃないかな?と感じさせるものであると思います。その中で、以下の部分が僕としてはすごーく気になったところです
>弥生に突入する直前、BC1000年頃土偶が急激に増えています。土器もさまざまな複雑な表現が加えられます。その時代朝鮮半島から弥生人が入りだし併せて農業が始まった事と重なります。その後弥生時代を迎える九州地方は突然土器の様式が無紋という形に変化し土偶は完全に姿を消します。
BC1000年頃=約3000年前は、ちょうど縄文時代後期に当りますが、この時期になんのために作ったのか?「よくわからない石器」が増えているのです。
一体この時期に何が起きたのでしょうか
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byさーね
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今日のネタは、「考古学の基礎知識 [4]」より。
縄文時代の「よくわからない石器 [5]」について
「よくわからない石器」の解説は、上記サイトを読んでみてください。
今日は写真のみ掲載です(この方がわかりやすい)

注目すべきは、石剣・石刀・青竜刀形石器・独鈷石です。
明らかに武器の形状をしている。
しかし、とても武器としては使えないシロモノ… 😥
縄文後期・晩期の遺跡で発掘されることが多いそうです。この時期は、気候状況も温暖化しつつあり、様々な生活様式(採取・狩猟・漁労)を獲得した後の時代…外敵から身を守る武器なども弓矢や矢じりで充分だったはず。
しかし、この時代は大陸から渡来人がやってくる時期です。大陸の玉突き的な掠奪闘争に敗れた渡来人が、争いを起こし始めた?あるいは単に武器を携帯していた?
掠奪闘争などしらない縄文人は、最初は掠奪集団とはいえ迎えようとしたと思います。
彼らが持っていた武器(?ここは微妙?)を見て、その形を作った。実際に、武器を使うシーンを見たのかもしれない。
いずれにしろ、縄文人が最初に触れてしまった「武器」・「争い」
彼らの意識は大いに混乱したと見ることができると思います。

>しかし土偶をいくら作っても略奪集団との闘争には何の役にも立たなかったのは九州の事例からも明らかです。採取時代の土偶作りも末期には収束不全発の目先収束だったのかもしれません。(るいネット「土偶に見る収束不全」より)
人同士の争いをしらなかった縄文人の意識の混濁が「よくわからない石器」に現れているのではないでしょうか?

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