2010年4月12日
2010年04月12日
鎖国とはなんだったのか?~鎖国政策の原点、秀吉のバテレン追放令を読む
前回は、幕藩体制=参勤交替が、江戸時代の安定的な経済発展の基盤になったことを紹介しました。もうひとつ、江戸時代の安定的な経済発展の基盤として重要な仕組みが鎖国です。今日は、何故日本は鎖国したのか?鎖国によって日本経済の仕組みがどのように変わったのか?について考察してみたいと思います。
● 日本は何故、鎖国を選択したのか?
まず鎖国に至る基本的な出来事をまとめると
1541 ポルトガル船、豊後に漂着
1543 鉄砲伝来
1544 ポルトガル船、薩摩に貿易を求める。
1549 ザビエル鹿児島上陸、キリスト教伝来
1587 豊臣秀吉によるバテレン(神父)追放令
1610 スペインに通商を許可
1613 平戸にイギリス商館を許可
1618 外国船貿易港を長崎・平戸に制限
1622 キリスト教徒55人を長崎で処刑
1624 スペイン人の来航禁止
1631 朱印船の制を定める
1633 奉書船以外の海外渡航・渡航者の帰還を禁止(鎖国令のはじめ)
1635 日本人の海外渡航の禁止・在外日本人の帰国を禁止(鎖国令強化)
1636 ポルトガル人を長崎出島に移す
1637 島原の乱おこる
1639 ポルトガル船の来航禁止
1641 オランダ商館を平戸から長崎出島に移す(鎖国の完成)
となっています。大きな流れでみると、織田信長の時代にどんどんすすんだ南蛮文化流入の流れを秀吉が止めた。その後、国内統一の過程で、外交通商の窓口を限定していった。という見方ができます。
↑秀吉のバテレン追放令
投稿者 staff : 2010年04月12日 Tweet
2010年04月12日
王権の生産 最終章
こんにちは♪milktea です
前回までに国家成立の道のりの中で、日本の『王』がどのように誕生し、また引き継がれていったかを考察してきました。そのまとめはシリーズ6で示した通りです。
今回、エントリーの締めくくりとして『私見ー天皇の存在意義』を示したいと思います。
私見であればこそ、本当にこれで伝わるのか、何度となく自問しました。一読していただければ嬉しく思います。またご意見をいただければ幸いです。
それではまず、こんな問いかけから始めたいと思います。
「日の丸ではダメですか?」
投稿者 milktea : 2010年04月12日 Tweet