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2008年05月03日

アンデスの古代文明に見る闘争とは?

古代アメリカ文明というと、どうしてもインカ・マヤ・アステカになってしまい。旧大陸と比較すると、非常に新しい文明と捉えられてしまいます。
しかし、南アメリカの先端に人類が到達したのが1万1000年前、もちろんもっと古い可能性もありますが。そのころから住み続けて生きた人々の、塗り重ねの結果が、インカ・マヤ・アステカなのです。
先に紹介のあった>モンテ・アルバン<は場所的には、マヤ・アステカの中間に位置しますが、ではインカはいかに?
という事で、古代アンデスを探ります。
さて古代アンデスも私権闘争に明け暮れたのか? それとも違うのか?
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ペルー2006探索の旅カラル(Caral)を訪ねるより http://www.y-asakawa.com/peru%202006/peru%202006.htm
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これも紹介がありましたが>カラル遺跡<まだまだ詳しい事は不明ですが、紀元前2800となると、旧大陸のメソポタミアやエジプトと大差ない時代です。

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その>カラル<でも石造の神殿やピラミッドが造られています。この遺跡からだけだと、メソポタミア、エジプトと同様な社会がイメージされますが、本当のところは?どうでしょう
写真はカラルと近い時代の>コトシュ<の神殿です。同じ場所に前の建物を埋めて、その上に何度も造りかえれられ「神殿更新」と呼ばれています。
これは造り直すたびに大きくなる事になります。
blokanso_007.jpg

http://taretare.s56.xrea.com/iseki_kanso/index.php?mode=res_view&no=51

遺跡馬鹿の番組&雑多感想 より
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「交差した手」のレリーフ 上記の神殿から発掘された物
デジタルミュージアム より

http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/publish_db/books/dm/chapter3/0317.html

これからは仮設ですが
もし同じだとすると、都市国家から統一国家のへの段階だったことになります。
しかし、先述の>モンテ・アルバン<もアンデスの広域国家とも言える>モチェ<や>ナスカ<にしても、紀元前300年ないし、紀元前後の時代であり、つまりカラルから2000年も後の時代です。
つまり、同様の神殿やピラミッドを造り上げる、技術や人々を動かす力(権力なのか?)は既にあったにもかかわらず、広域=征服によって領土の拡大国家になっていないと考えると、どうも戦いに明け暮れたとは思えないのです。
以前マヤ文明のところで、統一国家にならなかったのはなぜ?と考えましたが、ここでも同じなんで?が浮かんできます。
となると社会を動かす原動力が私権ではなかったのではと思いつきます。
人間は、常に自然闘争(生存闘争)の圧力を受け生きてきました。弓矢の発明によって自然圧力を克服していく手段を得たわけですが、メソポタミアでは、これを同類に向けたわけです。
更に鉄の利用が武器の性能を向上させ、戦いに拍車をかけました。
ところが、古代アメリカでは、金属は象徴材としては利用されましたが、結局 武器には利用されなかった事実があります。
これからも戦いの意味がかなり違う可能性が高いと思われます。
かつて、マックス・ウェーバーが権力とは「ある社会関係の中で、抵抗を押しのけも自分の意思を貫き通すあらゆる見込みの事であるが、その見込みはどんな物に基づいてもかまわない」
といっています。
簡単に言えば人を自由に扱う事の出来る力でしょうか。
メソポタミアでも、おそらく農産物や土器の流通による経済(富の集中)、守護神を中心とした宗教・イデオロギー、更に軍事力の3つを背景にした権力であったと思います。
ではアンデスでは?
この中で軍事力に注目すると、違いが明確になるのではないでしょうか?
古代アンデスが金属の武器化に注目しなかった所以はその必要がなかったと考えるのが素直です。
であれば、戦いそのものが、征服と言った物でなく、儀礼的なものであったとする説もうなずけますね。

投稿者 dokidoki : 2008年05月03日 List  

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