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2007年06月23日

中南米の歴史 古代人の移動の謎

 インカ帝国を始めとする中南米の歴史はまだまだ解らないことだらけです。 :roll:
しかし、考古学的な検証によれば、約12000年前には、現在のペルー、エクアドルの海岸線地帯に古代文化が栄えたことが分かっています。狩猟、採集、漁猟などを中心とした文明は、やがて農業中心の生活に移り変わり、8000年以上繁栄したとされています。
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しかし、1世紀ごろまでに、かつて栄えた文明の種族の多くが、アンデスの高山地方に移り住むようになります。これはなんででしょうか?
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図(人類が12000年前頃に南米に渡ってきたと思われるルート)
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移動の理由として3つほど考えられそうです。
①気候変動:気候変動による海面上昇?
(気候変動説は、世界の大洪水による超古代文明の滅亡など、かなり想像力豊かな説を生み出しているようです。)
②生産様式の発達:沿岸よりも内陸(高地)のほうが、より農業に適しており、灌漑技術などの発達で、高地に移動した?
③そもそも約12000年前に北アメリカから海岸に沿って移り住んだ人たちが、時間とともに徐々に内陸(高地)へ移動した?
図(12000年前ころには間氷期が終わり温暖化)
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いろいろ考えられそうですが、なかなか決定打はありません。継続課題ですね。このあたりをもう少し、紐解ければ、古代からインカ帝国にいたる社会構造の変遷が明らかになってくると思います。
参考までに、この頃の歴史を少し紐解いておきましょう。 (文章は「インカ/ペルーの歴史」

http://kunisan.jp/peru/history.htmlより抜粋引用させていただきました)

数々の女性の土偶を残したバルディビア文明(紀元前3500~1500年)、モチーカ、ナスカ、チムーなどの文明が発達しました。ナスカ文明の砂漠地帯の巨大地上絵は、特に有名です。モチーカではピラミッドが作られていました。
しかし、1世紀ごろまでに、かつて栄えた文明の種族の多くが、アンデスの高山地方に移り住むようになります。干拓が広まり、トウモロコシ、キヌア、豆、イモ類、カボチャ、パイナップル、アボカドなど、様々なものが栽培されるようになりました。またこの頃には各地域の首領が軍隊を持つようになり、土地を区分し、そして数々の村が同盟によって統合されていきました。
ペルー北部のアンカシュ(Ancash)地方で栄えたチャビン文明 (Chavín) は、その独自の思想、儀式、宗教、芸術をかなり広い地域に普及させました。よく知られているのが宗教用の図解書で、これにはジャガーを始めとする様々な動物が描かれています。この古代文明は1,000年以上に渡って続いたが、後のインカ帝国の征服により、はかなくも消えてしまいました。(そのインカ帝国もスペインによって15世紀に滅ぼされてしまいます)

投稿者 hiroshi : 2007年06月23日 List  

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コメント

>お絵かき爺さん
コメントがそちらのブログに直接できなかったのでこちらにさせていただきますね。
なるほど、関東地方は照葉樹林圏であるにもかかわらず人工密度が高いですね! 恥ずかしながら、
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/06/000251.html
 では、てっきり関東地方もナラ林に入ってるんだとおおざっぱに考えていました。
とっても勉強になります!ありがとうございます☆
この地方はどちらかというと漁労に頼っていたということなのかな・・・とも思いましたが、
5月8日のエントリーの小山修三氏の記録を拝見して、次のようなことを考えました。
「照葉樹の方がずっと生産高が高かった」という結果が得られた場所は万博の日本庭園ということなので、あそこは整備された場所なので、それぞれの木にとってベストの状態だとそれだけの収量が維持できる、ということが読み取れます。
でも奥深い照葉樹林は万博に植えられているような状態に比べてうっそうとした、若い木や小さい木には日光が当たらない過酷な所なのでそれほど収量があがらないのでは?という気がします。
もしかしたら関東地方の照葉樹林帯はそれほど奥深くなく、小山氏の言実験条件に近い状態だったかもしれません。(ホントに勝手な仮説なんですけど)
縄文海進でかなり海の部分が入り込んでいたという記述をよくみかけますが、関東地方の海岸線はどんな感じだったんだろう??これも重ねてみたら、照葉樹林帯の部分はどんな感じになるんだろう?とふと思いました。
思いつきレベルで恐縮です。

投稿者 bunchan : 2008年5月29日 22:14

こんにちは、TBに乗ってやってきました。ナラ林=縄文文化説は、ひろく一般に受け入れられていますね。私の関東は照葉樹林圏中の特別地域の第一の仮説は貝塚説でした。
しかしそれは必ずしも充分説得的ではない。何しろ、ナラ林帯のすべての地域よりもまだ上なのですから。どこかおかしいところがあると思います。
あと藤尾慎一郎先生の研究のHPを紹介していますが、その中の表は、ちょっと分かりにくいですが、中国、近畿圏の遺跡ではナラ林、照葉樹林の両方の堅果類が出土しています。照葉樹林圏の堅果類の方が、処理しやすいと言うことですから小山さんの実験に加えてさらにもう一度考える必要があるのではないでしょうか。藤尾先生は断定的ではありませんが。最近といっても数年前のようですが、鹿児島県で、三内丸遺跡より古い草創期の大規模集落、上野原遺跡が発掘されましたね。

投稿者 お絵かき爺 : 2008年5月30日 11:02

見つけていただいて嬉しいです☆
ついでにもうひと言。
>何ごとも一つの原理で説明できたら明快である。
だが明らかな問題点があれば説明なしではすまされない。<
と、今日のお絵かき爺さんのエントリで書いていらっしゃいましたが、本当にそうですね。
実験室のような世界では一つの原理はこうということを証明することはできますが、現実の世界ではいろんな原理がどのような圧力下でどんなバランスで働くのかということが明らかにならないと事実は見えてこないですね。
ブログの更新、楽しみにしています☆

投稿者 bunchan : 2008年5月30日 19:11

久しぶりにお邪魔します。
「縄文文化=ナラ林圏説の検証」なる論文を書き、発表しました。
pdfファイルとしてアップロードしてあります。
blogからもはいれますが、
http://www.tt.em-net.ne.jp/~teda/gisgakkaikouen.pdf
です。

投稿者 お絵かき爺 : 2009年3月7日 09:44

お絵かき爺さん論文の紹介ありがとうございます。
読ませていただきました。
縄文時代の人口論については、これまで小山氏の説しかなかった点にメスを入れており、非常に興味深い論文でした。るいネットでも内容を紹介しておきたいと思いますがよろしいでしょうか?

投稿者 tano : 2009年3月8日 12:49

tanoさん、るいネットで紹介してくださるそうですね。、そのとき、PDFの論文サイトを紹介してくだされば有り難いです。
http://www.tt.em-net.ne.jp/~teda/gisgakkaikouen.pdf
です。
よろしくお願いします。

投稿者 お絵かき爺 : 2009年3月9日 08:46

お絵かき爺さんこんばんわ。
昨日、るいネットに投稿させていただきました。
佳作に厳選されています。(^^)
全部投稿分に書けなかったので、すみません。
今後の活躍を期待しています。ありがとうございました。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=201951
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=201959

投稿者 tano : 2009年3月13日 03:13

我々の縄文社会に関する論文の最終結論が、地理情報システム学会の論文集のネット版にアップされました。
題は「縄文遺跡の立地性向」です。
サイトは
http://www.gisa-japan.org/dl/17-1PDF/17-1-63.pdf
言いたいことは、縄文遺跡、すなわち縄文社会の痕跡は、黒ボク土壌地帯、台地上そして貝塚周辺にある、ということです。樹林圏の如何に関わりません。サケ・マスではなく貝塚なんです。
ご覧頂ければ幸いです。ご理解いただくにはあるいは若干の基礎知識がいるかも知れませんが、おいおい解説版を書いていくつもりです。
(今アップされているのは、地理情報システム学会のサイトですが、自分のサイトにもそのうちアップしようと思っています。)

投稿者 お絵かき爺 : 2009年4月29日 14:24

情報提供ありがとうございます。
今回の論文も非常に勉強になります。
縄文遺跡、すなわち縄文社会の痕跡は、黒ボク土壌地帯、台地上そして貝塚周辺にある、ということです。
⇒確かにきれいにトレースされていますね。
じっくりと論文を読ませていただき、またるいネットの方には紹介を上げさせていただきます。
解説版の方も期待していますので、よろしくお願いします。

投稿者 tano : 2009年4月29日 17:59

 いまだに東北考古学は自壊し続けているように見えるのですが。

投稿者 鉄の歴史屋 : 2009年5月5日 02:26

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