| メイン |

2009年04月05日

それでもアンデスで武力統合が必要になったのは何で?

アンデスの歴史を調べていくと、なぜモチェ以降武力統合による国家が出来たのか?が大きな疑問になりました。
今回はこの辺を探ってみます。
4%20%E9%80%A3%E8%A1%8C%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%8D%95%E8%99%9C.jpg
連行される捕虜の壁画です
 ムーチャ・スエルテよりお借りしました
以前の紹介のように、アンデスの祭祀建物は武力統合のはるか以前に造られています。
十分に協同作業で都市つくりが可能だった事になります。
さらに争い自体もなく、武力の必要が無い時代が続きました。
それなのに?  なぜ武力による統合がモチェから始まったのでしょうか?
続きはクリックしてからね
Blog Ranking
にほんブログ村 歴史ブログへ
 

 にほんブログ村 歴史ブログへ


まずは、なぜ武力統合なしで、神殿などが建設できたか?を解き明かし、それが可能であった社会がなぜ武力を必要としたのかを探ります。
祭祀建築物(神殿)を造るのに、どのくらいの労働力が必要か?
こんな事例があります・・・京都大学学術出版社 「古代アンデス権力の考古学」 関 雄二 ・・・より
ワカ・デ・ロス・レイエスの150m四方程度の遺跡の試算では、1200人ほどの集団の成人男子200人(1200人の半分が男性、そしてその1/3成人男子としているようです)が年に2ヶ月間従事すれば、20年程度の年月で可能であるとしています。意外と少人数と思えますが、時代は狩猟、採集時代です。ひとつの集団がつくり上げたのではなく、複数の集団が協力したと考えられます。
つまり、協同労働説です。年に2ヶ月とは1/6年ですので、15%ほどを提供すれば可能であったいうことです。武力による強制的な統合が無くても、共認による、みなの役割と理解されていれば十分可能であるという事です。
農閑期に村同士が協同で普請をするようなイメージですね。
では次は武力統合への流れですが
遺跡資料からわかることですが、2500年前頃から、らくだ科の動物飼育量とシカ科動物の狩猟量とが逆転します。これは狩猟をせず、動物飼育を専門とする集団が成立した事を示します。
又同時期からトウモロコシの生産量が増えます。つまり、この時期から農業と牧畜が盛んになります。今までは半分は狩猟採集であったものが、農耕と牧畜に生産様式がシフトしたわけです。旧大陸と比較するとかなり遅い時期になります。
又この時代までに、神殿→神殿更新=神殿の複雑化→神殿へのアクセス制限(儀式がおこなわれる場所が簡単には入れない形状)=序列化が行なわれた
と思われる神殿の形状が変化しています。恐らく環境変化による自然外圧の変化が起こるたびに、より求心力を高める為にも、神殿の更新や序列化が進んだのではないでしょうか。その結果、協同作業の指導者たちが、より力を持つ構造への変化が起こったと考えられます。
そして こうして暮らしていた人々は次第に人口も増え、より緊張関係が強まってきたと思われます。
旧大陸では、略奪闘争によって、共同体が全て破壊され、その後の混乱した社会を再統合する為に、私権の共認から、闘争を止揚するために国家が生まれました。
しかし旧大陸同様に、こうした社会変化(外圧)の中で、新しい統合軸を求めた結果としてモチェが生まれたのでしょうか?
mp_full_6.jpg
 ナショナルジオグラフィックより
ここでもう少し詳しく『モチェ』を紹介します。
モチェ谷には大規模な灌漑水路が敷設されています。さらに海鳥の糞を肥料として利用し始めており、
集約的な農業が開始されています。彼らは トウモロコシ、インゲン豆、ピーナッツ、テンジクネズミ、リャマ、淡水魚などを食べていたようです。特にトウモロコシからチチャ(お酒)をつくり祭事に利用しています。
モチェは最盛期には南北に600キロにもわたる範囲にわたりました。運搬にはリャマを活用しています。
始まりは、同時期に発生した南北2つの政体が拡大過程の中で、最終的に合体した物といわれています。遺構からは戦闘場面を記した土器などが出ており、武力が統合軸のひとつとなっています。
なぜモチェが武力を統合軸としたかは、エルニーニョなどの気候変化による外圧に対して、それまでの
精霊信仰を母体とした社会統合軸、神殿などだけでは統合しきれなくなったからだと思われます。
ただし、何度も紹介されていますが、旧大陸のように、略奪闘争があったわけではなく、この武力というのも、強く私権を共認したものでもなく、支配階級がその統合力を高める為に、付加した物のように考えられます。
最初の国家といわれるモチェですが、旧大陸の国家ととは成り立ちが違うという事です
こうしたモチェも562年から594年にかけて長期の乾燥化によって崩壊しています。
長期の気候変化(外圧)には適応できなかったようです。
その為、次のインカはさらに、武力を使いながらも、さらに他の統合システム(信仰と互恵など)を強化しいったのだと考えてみました。

投稿者 dokidoki : 2009年04月05日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/04/772.html/trackback

コメントしてください

 
Secured By miniOrange