2009年4月8日
2009年04月08日
邪馬台国は朝鮮半島にあったのか-3 卑弥呼は公孫氏の係累ではない
😀 くまなです。
邪馬台国は朝鮮半島にあったのか-1 倭国は朝鮮半島にあったでは、倭国の所在地について、邪馬台国は朝鮮半島にあったのか-2 朝鮮半島説での行程問題では、魏(帯方)郡から倭国への行程から倭国は、倭国は朝鮮半島から日本列島にかけて広い範囲で存在した、ということを山形明郷氏の朝鮮半島説を参考にして検証しました。
ポイントは、魏志倭人伝の記述の通り倭国の北岸が朝鮮半島南端(狗耶韓国)であり、邪馬台国連合の国々がそこから南方にあるとすれば、それは九州及びその周辺地域にあることになる、ということです。
それに対して山形説(朝鮮半島説)では、邪馬台国は朝鮮半島北部にあったとしています。その主な根拠は下の二点です。
①卑弥呼は公孫氏の繋累であり、その勢力圏(遼東半島付近)の近くに居たはずだ。公孫氏の後ろ盾があったから倭国大乱を収めることができた。
②韓の國の「弁辰弥烏邪馬国」が、弁辰の属国脱出を機に「弁辰弥烏」を外し「邪馬国」となったのが邪馬台国ではないか。
今回は①について見てみましょう。
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投稿者 kumana : 2009年04月08日 Tweet