2009年4月14日
2009年04月14日
弥生時代の遺跡~万葉集から慮る
こんばんは。
先日、会員になられた五節句さんより、青谷上寺地の出土品を題材にされた、ご自身が運営されていらっしゃるブログの記事転載・紹介依頼をいただきました。
同時に私のエントリーにもコメントをいただいており、これも何かの縁でもありますので、代理エントリーさせていただきます。
残念ながら、私の方は万葉集に関する知識をほとんど持ち合わせていませんが、五節句さんのブログを拝見させていただきました。
その中で、
>この中で、名工達は云っていました。
>この遺跡を作った人々は、木のことをよく知り、作ることを楽しんでいた
が特に印象にのこりました。
「木をよく知り~ 」は、木の性質、特性に合わせて、つまり自然の摂理に則って、木製品を製作していたということだと思います。そのことは、当時では、ごく当たり前のように行なっていたことでしょう。現代においても、その道に通じた者(名工達)には、時代を超えて、そのことがメッセージとして読取る事ができるということなのでしょう。
五節句さんは、万葉集との対比としてあげられていますが、想像するに、万葉集を作られた方も、植物や木のこと、つまり自然の摂理をよく知り、それを歌に折り込んでいったということなのだと思います。
青谷上時地の出土品と万葉集とに通じる心とは、まさに自然の摂理をよく知る人たちの心持ちのことをご指摘されているのだと思います。そして、その心が現代である私達にも通じているといことなのではないでしょうか。
五節句さんは、最後に、弥生文化にひっくり返され、縄文文化は消えてしまったと考察されています。ここは私の想像の域をでませんが、そういう意味では、自然の摂理を読取ることに長けていた縄文人とその文化は、弥生文化に取り込まれ、溶け込んでいった(=消えたように見える!?)と考えた方がいいのかもしれませんね。
以下は、五節句さんのブログからの転記です。
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投稿者 yuyu : 2009年04月14日 Tweet
2009年04月14日
山之辺の道で遺跡めぐり
こんにちは
今回が3回目のエントリーになります カナです
実は私このブログが始まって、初のフィールドワークに行って来ました
行ったのは、日本最古の道 山之辺の道です
私自身も古墳とか遺跡に行くのは初めてだったので、ちょっと見方が良くわからなかったのですが、実際に古墳を見て、発見がたくさんありました
今のあったかい季節のピクニックに超おすすめな場所なんで、お休みがある方はぜひ読んで参考にしてくださいね
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投稿者 kana0444 : 2009年04月14日 Tweet