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2009年04月14日

弥生時代の遺跡~万葉集から慮る

こんばんは。
 
先日、会員になられた五節句さんより、青谷上寺地の出土品を題材にされた、ご自身が運営されていらっしゃるブログの記事転載・紹介依頼をいただきました。
  
同時に私のエントリーにもコメントをいただいており、これも何かの縁でもありますので、代理エントリーさせていただきます。
  
 
img_909448_29738263_0a.jpeg
 
 
残念ながら、私の方は万葉集に関する知識をほとんど持ち合わせていませんが、五節句さんのブログを拝見させていただきました。
  
その中で、
 
>この中で、名工達は云っていました。
>この遺跡を作った人々は、木のことをよく知り、作ることを楽しんでいた
  
が特に印象にのこりました。
 
「木をよく知り~ 」は、木の性質、特性に合わせて、つまり自然の摂理に則って、木製品を製作していたということだと思います。そのことは、当時では、ごく当たり前のように行なっていたことでしょう。現代においても、その道に通じた者(名工達)には、時代を超えて、そのことがメッセージとして読取る事ができるということなのでしょう。
 
五節句さんは、万葉集との対比としてあげられていますが、想像するに、万葉集を作られた方も、植物や木のこと、つまり自然の摂理をよく知り、それを歌に折り込んでいったということなのだと思います。
 
青谷上時地の出土品と万葉集とに通じる心とは、まさに自然の摂理をよく知る人たちの心持ちのことをご指摘されているのだと思います。そして、その心が現代である私達にも通じているといことなのではないでしょうか。
五節句さんは、最後に、弥生文化にひっくり返され、縄文文化は消えてしまったと考察されています。ここは私の想像の域をでませんが、そういう意味では、自然の摂理を読取ることに長けていた縄文人とその文化は、弥生文化に取り込まれ、溶け込んでいった(=消えたように見える!?)と考えた方がいいのかもしれませんね。
 
以下は、五節句さんのブログからの転記です。
 
 
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■弥生時代の遺跡① 
  
私の好きな 「万葉集」 には、どう読めばよいのか 分からないことば が、沢山あります。
 
  食薦敷き 蔓青煮持ち 来梁に 行膝懸けて 息むこの公
   (すこも しき あおな に もち こうつはり に むかばき かけて やすむ このきみ)
    
     という歌があります。
 
この歌には、題が付いていて、「行膝、蔓青、食薦、屋梁を詠む歌」、というのです。
 
 解説によると、行膝 (むかばき) は、当時の人が足を保護する為に着けたもの、蔓青 (あおな) は、蕪のことであるともいうが、むしろ青い菜の総称、食薦 (すくも) は、食事の時に敷くむしろのこと、屋梁 は読み方は不明ですが、字の如く、家の屋根を支える梁のこと。
 
これは、殆ど関係の無い四つの事物を一首に取り合わせた戯れの歌、なのです。
ただ、この四つの事物というのが全て、植物と木を用いて、人の手が掛けられて作られたものである、ということを理解した時、私の中に、無性に、興が湧いてくるものがあります。
 
鳥取県の 『青谷上寺地遺跡』 は、目下 ‘弥生の博物館’ とも呼ばれて、夥しい数の弥生時代の木製品が出土したことで注目されています。(写真は、その出土した木製品です)。
 
この戯れに詠まれた歌を、現代の日本人がたどたどしく読み、漸く読むことが出来ても、そのものの形がすぐには分からなかったり、又、どの様に作るのかを知らない、
 
正に、そういうことによく似て、この出土した木製品の多くは、現代人には復元が困難なものだと云われているのです。
 
その難しい復元に、人間国宝の名工達が取り組んだ、という記録映像をテレビでみました。
記録映像のHP
 
この中で、名工達は云っていました。
 
 この遺跡を作った人々は、木のことをよく知り、作ることを楽しんでいた、
 
この歌も、戯れに詠まれた、と云われている訳で、ものを作る人々の心と、歌を詠んだ人の心に一致してずれた処の全く無いことを、つくづくに感じます。
弥生時代を生きた人々と、後の万葉集に収められた歌を歌った人は、同じ文化の中に暮らして居たのです。
 
 
■弥生時代の遺跡②
  
食薦敷き 蔓青煮持ち 来梁に 行膝懸けて 息むこの公
   (すこも しき あおな に もち こうつはり に むかばき かけて やすむ このきみ)
 
ーー 「行膝、蔓青、食薦、屋梁を詠む歌」、と題するこの戯れの歌を作ったのは、『長 意吉麿』(ながの おきまろ) と云う、日本に律令国家が誕生した後の世に、居た歌人の一人です。
 
貧窮問答歌や、
 
 銀(しろかね)も 金(くがね)も 玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも 
  という歌で知られる 『山上 億良』 と、おそらく同時代の人 なのです。
 
この歌の心と、弥生の博物館と呼ばれている 「青谷上寺地遺跡」 の 木製品 を作った名工達の心とは、全く同じものであると、私には感じられる訳です。
つまり、日本で弥生文化を築いて行った人々が、後に、この国の律令国家をも築くことになった、と云える、ということです。
 
それは、殆どの人がとっくに考えていたことではありましたが、私は 「青谷上寺地遺跡」 の 木製品 を知る迄は、納得出来ずにいました。
 けれど、今は考えに迷いが無くなってしまったのです。
 長い時を受け継ぎ、育くまれてきた縄文の文化は、おそらく、ドミノ倒しの様に、瞬く間に弥生の文化に引っ繰り返されて行き、そして、消えてしまった、のです。
  
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転記元の五節句さんのブログはこちらから、ご覧いただけます。
 
■弥生時代の遺跡
   
■弥生時代の遺跡、 (二)。
 
 

投稿者 yuyu : 2009年04月14日 List  

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コメント

長らくのユダヤ追求お疲れ様でした。
ユダヤ陰謀論のたぐいの書物は多々あれど、このように歴史的にユダヤ人を解明しようとした試みは貴重だと思います。
何よりユダヤ=悪という固定を脱して追求が進んで行ったことには脱帽します。
歴史を読み解き、事実を少しでも解明して行くには、カッピカピさんのスタンスに倣って、まずは真っ白な状態から歴史を見て行くことが必要だと思いました。
カッピさんは次はどこに進むんでしょうか?
それも楽しみですね。

投稿者 tanoyan : 2009年5月19日 00:45

tanoyanさん、うれしいコメントありがとうございます。
このユダヤシリーズで、ユダヤについての知識はもちろんですが、それよりも、歴史の追及の楽しさを味わうことが出来たのが何よりの収穫でした。
次回のテーマはまだ未定ですが、ユダヤシリーズと同様に一歩ずつ追求していこうと思っています。

投稿者 カッピカピ : 2009年5月25日 23:04

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