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2008年10月08日

中国、朝鮮、日本を貫く共通シンボル「八咫烏」

今日は一風変ったところで、八咫烏(やたがらす)と中国、高句麗、高麗神社、熊野神社、天皇家の礼服のお話し。Jリーグのシンボルマークでもあります。
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[高句麗の古墳壁画]
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○八咫烏とは3本の足を持つ伝説上の烏で「熊野の説話」に寄れば「中国の漢族の神話では、尭(ぎょう)帝の時代、十個の太陽が一斉にみな空に出たため、地上の草木が焦げて枯れ始めた。そこで、帝は弓の名人羿(げい)に太陽を射落とすように命じた。羿(げい)は空に向かって矢を放ち、九個の太陽のなかにいる九羽のカラスの体を射抜いた。カラスたちはみな死に、地上に落ちた。こうして太陽は一個だけになり、地上の人々は焼死を免れた。
とあります。古来、中国では、太陽の中に三本足のカラスが住むと考えられ、また、太陽はカラスによって空を運ばれるとも考えられていました。
カラスの足を三本足とするのは、陰陽五行思想によるものだと思われます。陰陽五行思想では、二は陰数で太陽にふさわしくなく、陽数である三こそがが太陽にふさわしいと考えられます。
この中国の太陽の象徴である三本足のカラスが日本に伝わり、日本でも三本足のカラスが太陽の象徴とされたのでしょう。」(引用終わり)
○「八咫烏の「咫」は長さの単位を示す語で、大きい意味をも有するらしいので、八咫烏は種類としては大烏ということでもあるようです。最近の新聞報道では飛鳥キトラ古墳の壁画から中国式の三本足の烏の絵が見つかったとのことです。」 「三本足の霊鳥「八咫烏(やたがらす)」
○朝鮮では古くは高句麗の壁画にもこの八咫烏が描かれている。(前出)
又、ペ・ヨンジュ主演のかの人気韓国ドラマ「太王四神記」に出てくる「広開土王」(埼玉高麗神社にその銅像がある)の衣服にもこの八咫烏が刺繍されているそうだ。ちなみに「広開土王」は日本では「好太王」と呼ばれ、碑文で有名。
この高麗神社は高句麗滅亡(668年)の2年前に日本に渡来した使節団の一員だった高麗王「若光」を祭った神社である。
「続日本紀」によれば、716年、大和朝廷は駿河,甲斐、相模など関東7カ国に散らばっていた高句麗人を集めて武蔵国に移住させ、「高麗郡」を創設した。高麗王「若王」を郡長に任命したとある。
○また、『古事記』や『日本書紀』には、カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)が東征の途上、天か
ら遣わされたヤタガラスの道案内により熊野・吉野の山中を行軍したということが記されています。
実際、日本の各地の神社(例えば兵庫弓弦羽神社)でこのヤタガラスがシンボルとして使われている。
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○また法隆寺のかの有名な玉虫厨子の台座にも真っ赤な太陽が描かれ、中に3本の烏が足を広げているそうです。
○さらに「太陽女神の子孫である天皇の即位礼に立てられる幟の紋様には、青竜・朱雀・玄武・白虎の四神と、三本足のカラスが使われたそうですし、天皇の礼服の紋章には円形の中に三本足のカラスの刺繍が施されているそうです。」
※八咫烏という一つの想像上の烏が、中国、朝鮮、日本と広範囲なエリアで古墳時代から連綿として
支配者や神社や国家のシンボルとして使われているというのも、この3つの国の深い関係を象徴しているようで興味が尽きません。

投稿者 ryujin : 2008年10月08日 List  

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コメント

「ケガレのない」状態を続けることなんてできるはずがない。つまり幻想である。だから、ケガレを清めるという役割は永久に必要となるため、身分制度へも組み込まれることになった。
永久に解決できない問題を持ち出して何かを支配する考え方は昔から現在に至るまで、支配階級の必殺技であるようだ。

投稿者 99 : 2008年11月11日 20:30

>永久に解決できない問題
確かにそうですね。古来、日本ではこの「永久に解決できない問題」を相手に投げつけることを「呪い」と言います。被支配層は一貫して「呪いを掛けられ続けている」とも言えそうです。

投稿者 ないとう : 2008年11月11日 23:58

ケガレのない状態を続ける事ができない。この点を利用して人を支配する。
興味のある発想ですね。
ところで以下のような記述もされています。
>「銭」に対する呪物視(ケガレ視)から、現世とは縁の切れた場(”無縁”の場)での市場が誕生し、市場が発展していきます。鎌倉新仏教の誕生→普及を経て、全国各地に広がっていった市場経済にも、ケガレ意識の影響は強く存在しています。
「銭」が穢れているという意識は、奥深いとこれでみんなが持っている感覚だと思います。が市場が「銭」に対する穢れから発生したとは思えないのです。「銭」を効率よく稼ぐ為に市場ができ みんな「銭」を有り難い物と思うようになったような気がします。

投稿者 中年のおじさん : 2008年11月13日 19:29

『ケガレ』とは人間と自然の均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ、不安と結びついています。
とありますが、人間と自然が均衡がとれている状態が仮にあったとしても、それはわずかの時間か、又は無理やりそう意識させていたのではないでしょうか。
自然は常に変化します。それに人のほうが均衡するのも難しい
、又人は生活する限り、死と誕生とは切り離されません。その死と誕生の両方とも穢れとするのは、何か力が働かないと意識されないのではと思います。
述べられているように、律令制といった強い制度を強制出来るようになった基盤がそこのあるのだと思います。

投稿者 匿名 : 2008年11月13日 19:59

ん~、わかるんだけど、タイトルにある「タタリ」と本文の中心テーマである「ケガレ」の関係が??

投稿者 怒るでしかし~ : 2008年11月14日 01:16

>中年のおじさんさん
市場の発展とは、欧州がそうであるように、”金貸し”の存在がカギを握ります。「カネを貸し付けて利子を取る」ことから、市場は近代市場へと徐々に移行し拡大していきます。
日本では興味深いことに、寺社が金貸し業を始めました。
寺社に金が集まる文化的基盤は、
・元々、銭はケガれたもの
・だから、一旦、寺社に預ける
・寺社からの銭が、神からの贈り物として貸し付ける
だと考えています。
これだけではまだまだ不十分なので、中世の封建社会の下で、ケガレ意識が何を作り出したのか、引き続き追求し続けます。ご期待ください!

投稿者 ないとう→中年のおじさんさん : 2008年11月14日 01:54

>Anonymousさん
縄文時代の日本人は、元々、人が死ねば貝塚に捨てていました。
人間の死を他の生物の死と同等に扱っていたとも言えますが、死をできるだけ遠ざけようとしたからという捉え方もできます。
なぜ、遠ざけるのか? 実態的には、疫病が蔓延するのを防ぐため、など考えられますが、それが共同体の規範となるにつれ、ケガレの概念の中に生死が入ってきたのではないでしょうか?

投稿者 ないとう→Anonymous : 2008年11月14日 02:06

>怒るでしかし~さん
・・・すいません、タイトル付け間違っていました・・・。
ので、タイトル変更します。
「タタリ」意識を基盤に形作られた律令制度
 ↓
「ケガレ」意識を基盤に形作られた律令制度
ケガレとタタリの関係については、もう少し整理してからアップします。

投稿者 ないとう→怒るでしかし~さん : 2008年11月14日 02:09

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