古事記って。。。(その1) |
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2006年11月01日
古事記って。。。(その2)
前回の続きです~。
つぎつぎと日本各地を征服(平定?)していったイザナギとイザナミはどこからやってきた人たちだったのでしょう
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page663.html「新しい日本の歴史」より引用です
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紀元200年ころに、秦の始皇帝が中国を統一します。統一とは、言葉は良いですが、その逆に、統一された人がいっぱいいました。統一された人は、元の場所で住むことが出来れば良いですが、当時は、徹底的に殺されたようです。秦の始皇帝の力はどれほど大きいものであったかは、西安や北京に行ってみれば、説明が要りません。兵馬俑や万里の長城が語ってくれます。それだけ巨大な国でも、その後、直ぐに滅びます。漢民族にとって代わられます。北は、匈奴、月氏国、中山王国、朝鮮がそうです。結論を先に言いますと、朝鮮の北のほうからやって来たスサノオ、月氏国からきたツキヨミ、中山王国から来たイザナギとイザナミ、呉の国から来た天照大神らです。逃げてきた人たちの歴史は、逃げるまえの土地には、歴史が残っていません。やっつけた人たちが、やられた人達の歴史など知っているわけがありません。そういう意味からいいます中国や朝鮮には、本当の歴史は残っていないのかもしれません。
その点、日本の歴史は、幸いなことに、古事記に辛うじて残されていました。古事記を抹殺しようと人たちによって、大部分は消されてしまっていますが、復元は可能です。
イザナギとイザナミが古事記に書かれている話を少し書いてみました。しかし、日本を作っていったことは、書かれていますが、中山王国から来たとは、書かれていません。中国は、東、西、北へと侵略を繰り返しました。日本へはこなかったと思っている人が殆どですが、日本へもいち早く来ていましたが、侵略をしても意味がありませんでした。日本人が作った絹を持ち帰るだけでよかったのです。西へ侵略したときは、侵略された人達は、どこへ逃げたか調べていませんが、その他のところで、消滅して記録が残っている人たちは、日本へ来た可能性が高いです。中山王国は、北京の少し北にあった国ですが、全滅で消えてなくなった恐れがあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用おわり
イザナギたちは大陸の同類闘争に敗れて逃げてきた一派だったのですね~。
国産みの記述のところにある、「○○島」は、征服した地方のこと。
そして、黄泉の国からもどったイザナギが穢れを落とした時に生まれた神々は、他の逃げてきた民族で同類闘争相手。
そのように読みとくと、単に神秘的な話としか思えなかった「古事記」の本当に意味するところもなるほど~ と思えます。
大陸での掠奪闘争の激化→日本に逃げてきた複数の民族が逃げた先で勢力争いをしていたこのころの日本は同類闘争の圧力が一気に高まったキビシ~イ世の中だったのだな~ということがナマナマしく感じられます。
ではまた。 ぶんでした
投稿者 bunchan : 2006年11月01日 TweetList
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コメント
投稿者 Hiroshi : 2006年11月6日 23:28
こんばんは!
興味深い記事読ませてもらいました。写真もレイアウトも見やすくてGood!ですね。
しかし環濠集落って堀が9条もあったってすごい!てっきり一つだけかなーとおもってたんですが、事実はすごい。
その9条は、じつは水がはってあったり、串刺し用の杭がうってあったり、火をつけれるようにしてあったり・・・・したりして??
いずれにしても外敵に対するすさまじい恐怖感を感じます。
ではまた記事楽しみにしてます。