【縄文再考】力強い縄文建築と繊細な弥生建築、日本の精神はどちらにも宿っている |
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2022年07月07日
弥生時代の墓(副葬品)と権力構造―権力が生まれる時代、そこで起こる変化―
以前のブログで、埴輪と土偶について、それぞれの役割の違いなどを掲載させてもらいました。今回は、そもそも埴輪という副葬品や古墳という王墓の形式がどこから生まれたのか。その起源はどこにあるのか、について見ていこうと思います。
紐解くうえで重要な時代は、墳墓や青銅器などの副葬品が現れる“弥生時代”。この時代の大きな変化として、水田稲作農耕が注目されますが、この他にどのような変化が起こっていたのでしょうか...
(△地面に土壙を空け、遺体を入れた甕棺を埋葬する「甕棺墓」)
1┃弥生時代のはじまりと「墓」-弥生時代前期
およそ2,500 年前、朝鮮半島から伝えられた様々な文化が日本列島に根付き、弥生時代が始まります。米づくりなどとともに朝鮮半島から伝えられた様々な文化の中には、「墓」の文化もありました。
縄文時代の日本列島では遺体をそのまま土に埋めたり(土坑墓)、土器に遺骨や遺体を納める墓(土器棺墓)が主流でした。弥生時代になると、木でできた棺に人を葬る習慣が朝鮮半島から伝わり、遺体を木の棺に納める墓(木棺墓)が現れます。これらの土坑墓や木棺墓は地面にそのまま造られることもありますが、溝によって区画され、土盛りをもった墓である「周溝墓」の中に造られることもありました。
また、王墓からは、朝鮮大陸製の多鈕細文鏡をはじめ、銅戈、銅矛、玉類などの副葬品が出土しています。
◁土壙墓(どこうぼ)
◁木棺墓(もっかんぼ)
2┃円形周溝墓と方形周溝墓-弥生時代中期
弥生前期に造られ始めた方形周溝墓は、中期になると関東にまで分布が広がります。また、時には1つの集落に数百基以上が連なるように造られるなど、方形周溝墓は近畿地方から東では一般的な墓として普及します。一方、円形周溝墓もわずかですがその範囲を広げます。弥生前期には岡山県や香川県でしか見られなかった円形周溝墓は、しだいに兵庫県や大阪府でも造られるようになります。
吉野ヶ里遺跡の墳丘墓は南北約40m、東西約27m以上の大規模なもので、高さは4.5m以上であったと推定されています。中期後半から中頃にかけて14基の甕棺が発見されており、把頭飾付き有柄細形銅剣を含む銅剣8本やガラス製管玉79個など、被葬者の身分を示す貴重な副葬品が出土しています。
△密集してみつかった方形周溝墓群
△吉野ヶ里遺跡 副葬品(有柄細形銅剣、ガラス玉)
3┃墓に見られる変化―弥生時代後期後半
後期後半ごろから築かれるようになった円形周溝墓は、それまでのものとは異なった特徴を持つようになります。
全長20mになるような巨大なものや、突出部とよばれる「でっぱり」がついたもの、大型装飾器台という墓に供えるための専用の土器が供えられるもの、「石槨」とよばれる石の部屋を造り、そこに棺や遺体を納めるものなど、弥生時代中期までの墓にはみられなかった新しい特徴がみられます。実は、これらの特徴はすべて「古墳」の特徴に近く、「古墳」の祖形とも呼べる墓が播磨に出現したといえます。
これらの墓は、それまでの墓と大きく異なった特徴を持ち、それまでの方形周溝墓や一般の人々が葬られていた墓と全く違うものであるため、「王様」や政治的な「権力者」のような人物が葬られたのではないかと考えられます。
△突出部のある円形周溝墓
4┃格差のひろがる「墓」-庄内式期
弥生時代から古墳時代へと移り変わるこの時期には、弥生時代後期の墓でみられた権力者の墓がどんどん大きくなっていく様子が日本列島各地でみられます。
それまで集落の近くにあった墓は、しだいに集落から離れた丘陵や山の上に造られることが多くなっていき、集落とは明確に区別されるようになってきます。
また、集落の近くに方形周溝墓が築かれたとしても、一辺が20mを超えるような、これまでに造られなかったほど大きなものが造られるようになります。
しだいに一般の人々は溝で囲われた土盛りを持った周溝墓を造らなくなり、選ばれた人々だけがムラから離れた山の上に土盛りをした大きな墓と貴重な副葬品を持った墓を造るようになり、一般の人々の墓と「権力者」の墓が区別されるようになりました。
△一辺が約20mある巨大な方形周溝墓
△弥生時代の階層(ヒエラルキー)
4┃まとめ
農耕の開始と発展により現れてきた身分階層の分化や、地域格差は新しい世界観や支配秩序をもたらし、やがてそれはより強大な政治的権力を生み出しました。方形周溝墓や円形周溝墓など、時期による「墓」や「副葬品」の変化は、その権力構造に大きく影響されており、次の古墳時代には巨大な前方後円墳が築造され、古代王権・古代国家の形成へと向かっていきました。
〇参考リンク
https://www.yoshinogari.jp/ym/episode01/
http://www.ako-hyg.ed.jp/bunkazai/unekokokan/pdf/tokubetuhaifu2015.pdf
https://history-of-japan.hatenablog.com/entry/2017/10/05/001110
投稿者 anase : 2022年07月07日 TweetList
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