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2009年02月07日

北方モンゴロイド渡来から、マヤ・アステカ・インカ文明への道筋は? ~大型哺乳類の狩猟から農耕の開始まで~

アジアから北方モンゴロイドが渡ってきた過程が明らかになりつつありますが、その後のマヤ、アステカ、インカ文明までは一万年以上の距離があります。
また、生産様式は狩猟生産から採取、そして農耕へ
集団は、単一氏族集団から階層化した社会へと変化しています。
今回はこの過程を明らかにしていきます!
まずは、アメリカでの農耕の開始まで
↓続きはクリックしてから読んでくださいね。
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●約1万5000年~  
最終氷河期の終わりの時期、原アメリカ人は大型哺乳類を追って拡散した。
1万5000年前~6000年前にかけては、最終氷河期から気候が温暖化していった時期です。海水面が上昇し、ベーリンジア(ベーリング海峡部の平原)が水没し、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が分かれていきました。(日本でいう「縄文海進」)
氷河期のアメリカには、多種多様な大型哺乳類が生息していました。
馬、バク、猪、ラクダ、鹿(オオジカとトナカイ)、牛(バイソン)、山羊、象(マンモスとマストドン)、地上型のナマケモノやアルマジロ、大型ネコ類で巨大な牙を持ったスミロドンなどで、ユーラシア大陸から来たものもあれば南北アメリカ固有の種もあります。
この時期から1万年前まで、北米、中米、そして南米からも、槍の先端に取り付けたと見られる「尖頭器」とよばれるタイプの大型の石器が多数発掘されています。「尖頭器」は、マンモスの骨と同時に発掘されたり、バイソンの肋骨に刺さった状態で発掘されているので、これを使って大型哺乳類の狩猟を行っていたことは間違いありません。(現在の気候から想像しにくいが、アリゾナやメキシコにもこの類の遺跡が存在する。)
ところが一方、この時期の温暖化によってアメリカ大陸の植生は劇的に変化しています。
北米にモザイク状に存在していた氷床は北へ後退し、北アメリカ西部の巨大な湖は乾燥化して砂漠化、東部は森林が北上して大森林となり、大型哺乳類が生息していた氷床周辺の草原と低灌木地帯は消滅していきました。
南米でも同様に1万4000年~1万2000年前にかけて各地の氷床は山地内部に後退していっています。
この時期、原アメリカ人は、トナカイやマンモスを追ってアラスカからアルゼンチンまで獲物となる大型哺乳類を求めて移動し続けていたと考えてよさそうです。
●1万1000年~1万前 
一時的な「寒の戻り」の時期に大型哺乳類が多数絶滅し、原アメリカ人は転換を迫られた。
ユーラシア大陸で「ヤンガードリアス期」と呼ばれる一時的な寒の戻りの時期に、アメリカ大陸の大型哺乳類の実に70~80%に至る種が絶滅しました。
ユーラシア大陸と比べてアメリカ大陸の絶滅割合が大きく、かつ、とりわけ大型哺乳類の絶滅比率が大きい事から、原アメリカ人はカナダから氷床を出た途端に「電撃戦」のようの大型哺乳類を殺しまくりながら南下したとする「過剰殺戮説」を唱えるアメリカ人学者も居ます。しかし原アメリカ人の人口の少なさと、その後の原アメリカ人が南北アメリカにそれぞれ存在する事から、これは考えにくい。
大型哺乳類がいなくなった1万年以降の原アメリカ人の多くは、場所ごとの特性に合わせた採取生産様式に転換しています
ただし、一部には、狩猟を主な生産様式として残してきた集団もあります。大型哺乳類は北アメリカの中央平原に一種だけ残ったので、この地域の集団は狩猟部族として長らく(西洋人が来るまで)存続しています。
バイソンの狩猟を行ってきた北アメリカの部族です。(注:西部劇映画ではインディアンが馬に乗っていますが、あの馬は西洋人が持ち込んだ馬で、北米の馬で一旦絶滅しています)
●9000年前~3000年前
探索の結果、農耕を開始した。(おそらく中米のメキシコあたりで)
アメリカは農業大国です。
といっても、これは現在のことではなく西洋人が渡来する前のアメリカのことです。
「トウモロコシ」、「ジャガイモ」、「サツマイモ」、「トマト」、「カボチャ」、「唐辛子」、「インゲン豆」、「カカオ」、「タバコ」・・・・
私たちが日ごろお世話になっているこれらの植物は、すべてアメリカ原産であり、原アメリカ人が品種改良の結果、やっと食用になったもの。(トウモロコシの野生種は、豆粒ほどの硬いもので食用になるものではない)
逆に言えば、(大型哺乳類がいなくなって)食糧生産を植物に転換するにあたり、乾燥化がより進んだ地域の原アメリカ人は、植物に期待をかけ、多様に探索せざるを得なかったのだと思われます。
では、農耕が始まったのはいつ?どこで?
中米のメキシコで最も旧い農耕の遺跡が発掘されている事と、他の地域ではメキシコに遅れて同様の作物が作られている事から考えて、アメリカの農耕はメキシコで始まった可能性が高い。そして、3000年前頃になるとアメリカの各地で農耕の痕跡が現れています。
(ただし、アンデス地域ではメキシコとは別に農耕が始まった形跡もあります)
以下は、メキシコ中央高原テワカン谷盆地の事例です。
ここは、一万年まえからの遺跡が連続して発掘されているので、農耕が始まった過程がよくわかります。
~「モンゴロイドの地球」から引用~
メキシコ中央高原と南部のオアハカ盆地の中間にあたるところに、テワカン谷につくる盆地がある。およそ300平方キロメートルの範囲にわたって調査・・・なかでも注目されたのは先土器時代で農耕が発生してから主成業になるまでの過程である。
9000年~7200年前ごろの時代はエル・リエゴ期という名前がついているが、そのころの生活は小さな集団がそれぞれに季節に応じて移動する形態であった。どこかに長期間滞在するという事はあまりなかったらしい。狩猟の対象はシカ、ウサギ、げっ歯類、リクガメ、鳥類など、それ以前にくらべると小動物に変わっている。・・・・・それとともに槍の先に付ける尖頭器も小型もものになっている。居住の場所は洞窟のほかは屋外のキャンプもあり、冬の乾季には小さな集団に分かれ、夏の雨季にはやや大きな集団が形成された形跡もある。一方、石皿、石臼、摺石、石臼などの道具も登場しており、植物採取も積極的に進めたようである。これらは大きな集団形成のあったような場所でよく見出される。まだ野生の状態ではあったが、トウガラシ、ウチワサボテン、アマランス、アボカド、カボチャなどの遺物が見つかっている。
7200年~5400年前までの時代はコスカトラン期という。季節的移動と大集団と小集団の交代という生活形態はエル・リエゴ期とあまりかわらない。ただ、ほんのわずかながら植物を栽培して利用する事が始まっている事が注目される。栽培された植物には、トウモロコシ、インゲンマメ、ヒョウタン、カボチャなどがあり、トウガラシも栽培されていたらしい。特定のキャンプに滞在する期間が長くなる場合もあった。多くのキャンプは2、3ヶ月くらいしか使われた形跡がないが、あるところでは1年の半分以上をすごしたものではないかという。当時の食物を推測するに、およそ34%が狩猟による肉、42%が野生植物、そして14%が栽培植物であったと、マクニーシュは述べている。
5400年~4300年前まではアハベス期といい、トウモロコシに新しい品種が加わっている。そして初期の栽培品種に代わってその量を増やして行く傾向が見られる。また、新しい栽培植物としてワタが登場している。この時期になると、河岸段丘に竪穴住居が集まって定住村落を形成するようになっており、生業のなかで農耕が占める比重の高まりが見てとれる。石臼、石杵、石鉢など、運搬に不便な道具も増えており、それもまた定住生活の強まりを示している。
★そしてつぎのプロン期(4300年~3500年前)の終わりごろになると、土器が使われはじめる。
★つづくアハルパン期(3500年~2900年前)に、定住、土器、栽培を組み合わせた農耕生活が完全に定着した。
~引用おわり~

3000年前の頃には、メキシコ中央高原だけでなくメキシコを中心に中央アメリカやアリゾナ地方まで同様の農耕定住村落が見られるようになります。村落は河岸段丘地帯から盆地底部に移行し、天水によるものから灌漑農業になっています。
また、村落間では、黒曜石やビーズの流通があった事が確認されています。
当時のメキシコ人の工夫思考に同化するために、トウモロコシの品種改良の経過を見てみます。
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図:テオシントからトウモロコシへの進化
  a)テオシントの雌性花序
  b)テオシントとトウモロコシの雑種
  c)一粒づつ殻に覆われたテオシント
     (突然変異によって生まれる)
  d)テオシントと現代のトウモロコシの雑種
  e)現代のトウモロコシ
図の引用
 山本紀夫
 1993 「植物の栽培化と農耕の誕生」
     『アメリカ大陸の自然誌3:新大陸文
      明の盛衰』
     岩波書店
トウモロコシはイネ科の植物ですが、原種はまさにイネのような植物で数粒しか実をつけず極めて硬いものです。5000年前に現在のものに近い形になっています。(大きさは違いますが)
原アメリカ人が、「なんとかならないか?」と期待して交配と選別をし続けた賜物であり、マヤやインカでは絵に描かれたり石に彫刻されたりしているのを考えると、自然の恵みと先人への強い感謝の念が伝えられてきたに違いありません。
(現代ではトウモロコシは穀物メジャーに支配するところとなり、石油の代わりに消費されるようになっていますが、この歴史事実を忘れてはならないと思います)
●3000年前、このメキシコ地域で村落共同体を超えた大きな組織体が現れ、巨石の頭像で有名な「オルメカ文明」を残します。
ここからは、次回へつづく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
by tamura

投稿者 nandeya : 2009年02月07日 List  

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コメント

>未だ国家形成にいたっていない部族連合レベルの段階の一定の部族集団を指して“倭”と呼んでいる
なるほど。「倭」って呼ぶ対象が変わってきたのですね。
そう考えると、すっきりしますね♪

投稿者 みぃ : 2009年3月17日 23:10

みぃさんこんばんは、
>なるほど。「倭」って呼ぶ対象が変わってきたのですね。
教科書とかそうだけど、固定した見方って陥りがちだと思う。自分も含めて、一番事実が整合する見方、いろんな角度から見て、・・・追求していことを常に心がけたいと思ってます。
それではまた。

投稿者 Hiroshi : 2009年3月19日 19:11

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