2009年2月3日
2009年02月03日
騎馬民族(扶余族)は金官伽耶を経由して畿内へ入った
戦後あれほど注目された騎馬民族征服説ですが何故か日本の学会ではあれはなかったことにしよう的な雰囲気が強いようですね。「人はこなかった文化だけ来た」ということにどうしてもしたいようです。しかし、騎馬民族扶余族が朝鮮半島を南下したのは間違いない事実のようですし、当時の半島南端と列島は同じ倭人の住処として人と物の交流が頻繁であったことを考えると、半島南端を支配した騎馬民族が、日本へ来なかったと考える方が不自然というものです。「人はこなかった文化だけ来た」論は「朝鮮半島と日本列島は別々の国」という国家形成後につくられた領土観念=先入観に立脚しており、まずはこのイデオロギーを排除して考えないといけません。(ただしネット界では、なんでもかんでも韓国起源にしてしまう向きもあって、そこは注意しないといけません。北方要素、南方要素の峻別が重要です。)
では「騎馬民族扶余族の半島南下」の背景や実体はどのようなものだったのでしょうか。またその証拠は?
朝鮮半島南端 伽耶地方の地図です。
投稿者 staff : 2009年02月03日 Tweet