2009年2月15日
2009年02月15日
高句麗、百済、新羅における仏教とは?
るいネットサロンで日本の仏教について話してみましたが、支配者と庶民との関係がはっきりしませんでした。そこで、仏教を持ち込んだ朝鮮の渡来人の仏教とは何だったのかを調べて見ました。まず仏教が伝来した朝鮮の高句麗、百済、新羅の時代をhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99「朝鮮の仏教」の抜粋から見てみます。
三国時代の初期仏教
朝鮮半島への仏教の伝来は、高句麗へは372年(小獣林王2年)に伝来し、 百済へは384年(枕流王元年)に伝来、 新羅では少し遅れて、528年(法興王14年)に公認された。 五胡十六国時代および南北朝時代の中国から伝えられ、これら三国においてはその後の律令制度の整備に伴い、国家建設の理念としての役割を果たすようになった点が特徴的である。特に新羅においては、護国仏教としての性格が強いのが特徴で、唐の侵攻に対し先頭に立って人民に徹底抗戦を促して、新羅の朝鮮半島統一に大きな影響を与えた。
■3国に共通する仏教の公認の流れは以下です。
建国史から幾つかの部族の連合から生まれて、族内で王位を廻していた。
↓
兄弟相続へ
↓
王権を強化する為に父子相続へ=共同体の解体
↓
国家統合する為に律令、大学等の制度の制定
↓
国家の精神的基盤として仏教を公認する。
*隣国・中国からの領土侵犯の外圧*
以下、高句麗、百済、新羅の順番で見て行きます。
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投稿者 sakashun : 2009年02月15日 Tweet