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2007年10月29日

マヤに統一国家が存在しなかった理由~逆の理由から検証してみる

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前回(リンク)マヤにおいて2000年もの間統一国家が発生しなかった原因と思われる説を5つあげました。
今日はその続きです。
前回の原因の中でも特に、地理説、私権性が弱い、外圧が弱かった等の理由の重なったものあたりが有力な気がします。
そこで、今日は一転統一国家が出来上がる要因は何か、逆の過程を考えながら、統一国家が出来たメソポタミアと、中南米では何が違ったのかを比較検証してみたいと思います。

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るいネットの【人類の同類闘争と部族連合(戦争の期限)】という板の中に、その答えとなりそうな投稿がいくつかあります。
・文明の由来は同類圧力(リンク
・4台文明の多元的・同時発生説(リンク
・同類闘争の圧力と共認統合の限界(リンク
・私権闘争・略奪闘争をどう止揚・統合するのか(リンク
・私権闘争を統合した力の序列共認(リンク
・遊牧民族の登場から私権国家の成立まで(リンク
これらの説を要約すると、
・もともと他集団が存在すれば同類圧力は発生する。
⇒さらにそこに気候変動、つまり寒冷化→乾燥化といった自然外圧の高まり
⇒一部の肥沃な地域に人口密集
⇒高原の遊牧民族は食料がなくなる
⇒遊牧民族による農耕民族の略奪、私権集団化
⇒周りすべてが私権集団同士で、絶えず戦争
⇒私権闘争を止揚する為に連合を組む
⇒私権闘争の覇者が統一国家を作る

といった流れがみてとれます。
(私権闘争に勝つ為の武器の開発などが文明を発達させる要因にもなった)
そうすると、一方の中南米ではこのような略奪闘争に向かうきっかけとなるような自然外圧の高まり→同類圧力の高まりがあったのでしょうか?
■マヤ文明発生前後以降の気候は?
同類圧力の高まりに向かわせるようなデーターや資料は見つかりませんでしたが、以下の記述からやはり大きな気候変動はなかったのではないかと思われます。

最近では、マヤの崩壊の一因となった古代の気象変動と環境変動の痕跡が気象学者と古生態学者によって確認され始めている。

『遊びをせんとや…(弍)』(リンク
つまり、この地域での大きな気候変動はむしろマヤを滅ぼす要因になっており、マヤ人たちはこの外圧に十分適応できなかったことになります。ということは、それまではそれほどの大きな気候変動はなかったのでは、といえるのではないでしょうか。
■当地の食糧事情はどうだったのか
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マヤ人は雨を奪う石灰岩を逆に利用することで、水の確保を成し遂げたのだ。
また、密林に住むマヤ人は、焼き畑でトウモロコシを栽培した。しかし広範囲に焼きすぎると森が再生しなくなるため、焼き畑ができる範囲には限りがあり、収穫量にも限界がある。マヤの各都市はその限界を超えてまで拡大しなかった。それぞれが自分の適正規模を保持していたため、70もの都市の共存共栄が可能になったのである……。

『NHKスペシャル 失われた文明 インカ・マヤ
第3集 密林が生んだ二千年の王国』(リンク
まずこの地域には広大な草原はなく、遊牧民族はいません。かつ、上記のように小都市ごとには水、食料を維持できていたようですね。敢えて他部族の縄張りに侵入し、食料を奪わなければ生きていけないような理由は見つかりません。
■周辺部族を征服統合するには何が必要か

コパンの遺跡から出土した何百体もの人骨には、多くの孔がある骨やストレス負荷を示す線がある歯など、疾病と栄養不良の痕跡が認められ、住民の健康状態が650~850年にかけて悪化していることが明らかにされた。
今では、決着のつかない熾烈な戦争が絶えず繰り返されていたことが分かっている。その原因は、アステカやインカなどと違い、マヤでは、食料の供給と輸送に限界があったせいで、どの小国も、全地域を統一して帝国を建てることができなかったからだ。

『遊びをせんとや…(弍)』
この食料も実はかつかつの状態で、戦争がおきるとその「兵糧米」として遠征先の兵士たちに十分いきわたらせるようなことはなかったようです。したがって長期の戦争は出来ない
またマヤ文明はすでに知られているように鉄器と馬がなかったといわれています。従って、相手を皆殺しにするほどの殺傷能力を備えていなかったことと、馬という機動力がないということから、私権闘争の勝ち抜き戦から抜け出す制覇力をもてなかったことにつながるのではないでしょうか。
これらのように、メソポタミアのようには人口が密集せず、かつ略奪闘争に向かわざるを得ないような過酷な外圧情況が見て取れないことが、小競り合い程度を超えた周辺部族を完全制覇して統一国家をつくる動機にはいたらなかった一番の理由として考えていいのではないでしょうか。
最後まで読んでくれてありがとうございます。 :D
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投稿者 saah : 2007年10月29日 List  

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コメント

輪廻転生という仏教の教えがありますが、あれも循環の思想からきているのでしょうか?あの世という設定を作ることで現世の苦を少しでも和らげ、変える事が出来ない現実から目を背ける為に用意されたものと思っていましたが・・・。
僕は縄文人やアイヌの人たちが生死を自然の摂理から学んで人は死んでもまた生まれてくると考えたのは微妙だなと思います。自然の摂理からいけば死ねば土に戻るわけで、土から生まれてくるのは植物でしかないからです。自然の摂理における生命の循環の発想とは食物連鎖であり、決して生まれ変わることではありません。
くまなさんの視点は面白いと思いますが、どうして縄文人が、アイヌ人がもう一度帰って来いと祈ったのか、そこはもう一歩踏み込んだ同化が必要になるように思います。

投稿者 案山子 : 2007年11月19日 21:59

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