インカ帝国の交易 |
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2008年08月11日
縄文:再葬墓≒死者への同化⇒再生
今晩は、さーねです 😮 先週と同じ、縄文の信仰を調べていたら、興味深い 埋葬の形を見つけました。
「再葬墓」です。
>「再葬墓」とは、一度葬送した後、骨になった段階で、人骨を納めて再度埋葬する方法です。
レアメモリー諏訪の縄文時代より
なんで、再葬したのか 考えてみたいと思います
土坑墓
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レアメモリー諏訪の縄文時代の諏訪郡原村の阿久遺跡の様子より、「再葬墓」の部分を抜粋してみます。
土坑とは人を埋葬するために掘られた穴のことである。土坑群は今日まで500余り発見されています。これらは規模や形の上では変化に富むが、いくつかの共通点が見られます。とくに、小立石を土坑上に立てたものや土坑内に石を入れたものなどは、土坑の直径が80cm、深さ70cm前後と、直径に比較して深いものが多く、石を持たないものにも、このような特徴を持つものが見られます。
中には副葬品と思われる玉類や骨を納めた土器もみられますが、数は少ないようです。 このような土坑群を墳墓と考えるにしても規模が小さすぎます。そこで考えられるのは、縄文時代中期に見られる「再葬墓」です。
「再葬墓」とは、一度葬送した後、骨になった段階で、人骨を納めて再度埋葬する方法です。 他界後、遺体を野晒しにして、結果、骨のみを集めて埋葬する風習と考えてはいけません。洗骨(洗骨葬)は、丁寧に風習に則り遺体を土葬して、何年かして遺体が腐食したあとに、残された遺骨を取り出して洗い、その時、死者の霊が始めて安定した状態に入ると考え、本来の墓地に本埋葬するのです。沖縄、台湾、香港、ベトナムなどにもみられる葬法です。
香港では公共墓地の年限が五年であり、五年過ぎると遺族は洗骨をして、墓地を返却します。ベトナムでの「洗骨葬」は、まず土葬で葬り、3年後以降の定めの日に掘り返して、死者の骨を丁寧に洗って清めて、改めて新しい墓に埋葬いたします。 最近まで日本各地で行われていた両墓制も、再葬墓の姿を変えたものです。
両葬墓とは死体埋葬の場と、霊魂の宿る場の2種類の墓地を作る葬法で、遺体よりも霊魂の存在を重視する方法で、「霊魂の宿る場」の方が大切にされます。土坑墓群の規模や数量の多量さからみれば、再葬墓と考えるのが妥当でしょう。立石は一種の墓標であり、小さく深く掘られた穴に洗骨を埋葬したのでしょう。
「再葬墓」がなんで始まったのか?ここを考えることが重要だと思います。
現代はめったに周りの人々が不慮の事故で亡くなるということはなかなかありません。老人になり、静かに息をひきとっていく…一方、縄文時代は医療も何もなく、常に自然と丸裸で日々自然と闘っている中で、不慮の事故や病気で亡くなる方がたくさんいた。
例えば、それまで勇敢に狩猟をしていた若者がいたと想像してみましょう。集団に食料をもたらす重要な人と想像してみましょう。その人が不慮の事故で次の日からいなくなったら?このようなことが、常に起こりうるような状況下に置かれたら?
・不可能であるとわかっていながらも、集団のために再生してほしいという気持ち。
・現実として、跡継ぎを担う者が必要。その人と同じ役割が担えるよう同化しよう。
>次なる生への祈りは、新たな仲間=働き手や生殖の担い手を得ることと同時に、その背後にある共認充足源=活力源の再生を願ったのだと思います。
誰かがよみがえるのではなく、誰かの魂が戻ってくるのでもなく、充足や活力が再生され(続ける)ことを切に祈った、のではないでしょうか。縄文人、再生への祈り
一歩進めれば、皆で同化し、その人の代わりになる≒亡くなったその人の役割を誰かが担う≒集団としてその人を再生していこう。再葬墓はそんな集団の想いが集約された儀式なのではないでしょうか。
投稿者 sawatan : 2008年08月11日 TweetList
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