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2007年06月27日

縄文時代の言語の変遷と土器文様との関係

simasanです  「縄文と古代文明」ブログへの投稿、久しぶりですが、
今日は、カッピカピさんが提案している 「新テーマ」 について考えてみました。 😛
新テーマ③縄文時代の言語体系ってどうなってたの?を調べていくうちに、実は
新テーマ⑤中期以降の縄文土器の模様が複雑になったのはなんで?
と繋がっているのではないか?と思うようになり、両方考えてみました。
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テーマ③について、るいネット「南方か北方かを言葉からみる」「南方系から北方系へ言語は変化」では、以下のように分析しています。
>1.1万2~3千年前頃の縄文語は、東北アジアのナラ林帯に現在も広く残っている古アジア語の祖型に近い「原東北アジア語」(原始的なアルタイ語的特徴をもっていたと考えられる)とでもいうべきもの、
>しかし、これをいわゆる北方系の言語と混同すると間違い、むしろ南方系の言語に近かったのではないかと想定されます。というのも、日本を含むアジアの言語が、地域的変化のみならず、時間的・歴史的に南方系から北方系へ変化してきたと言えるからです。

>2.縄文前期~中期ごろに照葉樹林文化が西日本に進出してきて、南方的な言語(オストロネシア系の言語やチベット・ビルマ系の言語)が伝来し言語混合する。
>3.縄文末期に寒冷適応した新モンゴロイドが渡来し、現在のツングース・満州語に近いアルタイ系の言語が伝来した。同時に、長江下流域や江南地方からは呉・越系(オストロネシア系だが正確な系統は不明)の言語も伝来し、混合語としての日本語の根幹が形成された。
>4.4~5世紀の古墳時代に朝鮮半島からアルタイ系の言語や中国語(漢語)が導入され上代日本語が形成された。
つまり、
①>中国語、韓語・朝鮮語、日本国内のアイヌ語などは日本語とまったく系統的関係がない。
②>日本列島をはさんで北と南に大きく広がるツングース諸語とオーストロネシア諸語が日本語を産みだした最有力候補で、縄文時代中期以降、これらの言葉が日本列島でたがいに接触し、その後、混合することによって現在の日本語の母体を形成したことが分かってきた。
とまとめることができます。
一方、縄文土器文様が辿った変遷を見ると?以下、 「山麓のトピックス」 より引用
>縄文前期(約11000年前~約5500年前)は4500年かけて土器の誕生から文様を焼き付けたものが出現するようになってきました。
>縄文中期(約5500年前~約3500年前)になると多くの文様が誕生、形状も素晴らしいものが見られる様になってきて、縄文土器の最盛期を迎えます。
>縄文後期、晩期(約3500年前~500年)には文様が消え衰退していることが解ります
土器の変遷
jyomon15-1-1.jpg       jyomon15-1-2.jpg
縄文前期初頭の尖底土器(約1万年前)⇒縄文前期尖底土器に安定性のある平底形状と文様の出現が見られる(約7000年前)
jyomon15-2-1.jpg         jyomon15-2-2.jpg
縄文中期初頭に様々な形状と文様にと変化が見られる(約5500年前) ⇒縄文の中期中葉には形状の完成と多くの文様が出現(5000~4000年前)
jyomon15-3-1.jpg    jyomon15-3-2.jpg
縄文中期の後半には装飾性が幾分薄れ生活具の形状のものが見られる (3000年~2500年前)⇒弥生時代は文様が減少し形状も生活容器としての傾向(約3500年前~250年)
nenpyo2.gif
これらを時系列順に辿ると、
①約7000年前頃~:温暖化が始まり、列島全体に照葉樹林が広がっていく

②約5500~3500年前頃:人口が増え集団が増え各地に広がっていくと同時に、渡来人による南方言語が広まり混合、この時期に最も多くの土器文様が登場する

③3500年前頃~:逆に寒冷化が始まり、人口が減り、それまでの移動型の狩猟・採集生産から徐々に定住の農耕生活が広まっていく。それと同じくして、北方適応したツングース系の言語と本格的な稲作文化が広まり、徐々に土器の文様も衰退していった
と整理することができます。これについては、「山麓のトピックス」では、以下のように分析しています。
●縄文初期の言葉と文様の関係について
>縄文期の家族的集落形態では話し言葉(縄文語)がある限り現在のような文字伝達の必要性は少なかったはずです。そこに或るものは縄文期の生活から「祈り」「願い」を込めた文様であると思います。一つの文様で多くの事を語り、意味する。そのような文様文字だと想像してよいのではないでしょうか。
●次に、縄文中期の土器文様の発展と衰退→話し言葉の伝播について
>狩猟の森の生活から脱却せざるを得ないまで追い詰められ低地への移動を余儀なくされたものと思います。固定した家族集落の形態が続いている間は文様に発展が見られたものの食料を求めての脱出、離反をする様になった縄文後期には文様自体が衰退したと考えてもお可笑しくありません。
>山麓では家族集落からの離脱が始まり弥生時代に突入していったのではないでしょうか。と同時に首長制社会への移行へと進んだものと思います。この時代になると伝達の手段として話し言葉がそのまま伝えられる文字の必然性が生じてくることは容易に想像がつきます。縄文語(古代語)を骨格として稲作の到来とともにもたらされた漢字(漢語)が結びついたと考えるのが自然です。

投稿者 simasan : 2007年06月27日 List  

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コメント

中国の個人主義を西欧のそれと区別しなければならないと思います。数年前、中国で貿易する日本人と話した事がありますが、中国人は一旦信頼関係を結ぶと友人を絶対に大事にします。逆にその信頼関係まで至らないビジネス止まりだと騙されたり手を抜かれたりと大変な損害に至ることがあるらしいです。中国人はその違いがはっきりしています。騙すことは悪いことではないとさえ思っているようです。
中国で商売する時は相手と家族的に付き合うこと、杯を交して絆を作ることが重要らしいです。つまり仲間にさえなれば絶対的な協働関係が維持できるのです。この辺は一種日本のヤクザに近い感じさえ受けるのですが、中国という集合体が4000年以上に渡って多民族の合衆国であり、拠り所となる規範や集団が自らの家族しかないという辺りが、その特殊性を作っているのかと思います。
中国社会が共同体的土壌をかなり早期に失ってしまっていたという部分は頷けますが、完全な個人主義とは別の連帯を長らく作っているのも中国の特徴かと思います。中国の利己主義を見る場合注意しておきたいファクターです。

投稿者 tano : 2007年7月16日 19:03

>中国の個人主義を西欧のそれと区別しなければならないと思います。
なるほど。
ひとつ共通性として注目できるは、tanoさんが中国の信頼関係と言っているものは、欧米の上流階級やマフィアでも同じようにもっていそうな点です。
おそらく、欧米で特徴的なのは、一般庶民が個人主義という奴隷観念に深く囚われている点なのかもしれない。中国ではそこまで行っていない・・・ということ。
とすると、個人主義と区別した別の言葉を使ったほういいのでしょうね。・・・どんな言葉?

投稿者 Hiroshi : 2007年7月18日 22:10

 個人主義が奴隷観念だというのはどういうわけでなのでしょうか。

投稿者 ゲラス : 2010年8月21日 08:58

今気がつきました。西尾幹二氏の反個人主義の観点に即しているのですね。

投稿者 ゲラス : 2010年8月21日 09:05

 この西尾幹二氏の『国民の歴史』(文庫版 上下巻)を買ってきましたが、目次を見ても、『専制国家史論』に関わっていそうな見出しが見つかりません。第何章なのでしょうか。

投稿者 ゲラス : 2010年8月21日 17:42

ゲラスさん、こんばんは
>この西尾幹二氏の『国民の歴史』(文庫版 上下巻)を買ってきましたが、目次を見ても、『専制国家史論』に関わっていそうな見出しが見つかりません。第何章なのでしょうか。
どうも昔の本で探し出すのに時間がかかってしまいました。
元の単行本だとP205にあります。文庫本だとページが変っているかもしれませんが、第9章 漢の時代に起こっていた明治維新・・・という中にあります。
読んで見てなにか発見などあれば、是非教えてください。

投稿者 Hiroshi : 2010年8月26日 21:31

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