人骨が示す過酷な生活 |
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2007年05月13日
火炎土器の国から
Hiroshiです。今日は縄文番外編。
連休の間、火炎土器の国、越後の中越地方・魚沼へ行ってきました。・・・と言っても実家のある生まれ故郷ですが。この地方は、長い冬の間、深い雪に閉ざされますが、4月になると雪が解け、山々に一斉に緑が吹き出し、野山に草花が咲き乱れます。あちこちでカエルが合唱しています。
山々には雪がまだ残って、白い山々と新緑がすごい鮮やかな季節です。そういえば、風景の写真とってくるの忘れてしまいました。残念。花の写真があったので添えときます。
裏山で撮ったカタクリ なんの花かな??
火炎式土器見たい方、ポチッと↓
久々に縄文土器を見に行こうと思い、隣町の十日町と津南町へ出かけました。子供に縄文土器見に行こう!と言ったら、いやだじいちゃんと山にいく・・・といわれ 🙁 、カミさんと娘で出かけました 🙂 。
下の写真は十日町博物館に行って見てきた火炎式土器です。せっかくなので普段見れないアングルで上のほうから撮ってみました。
この土器みて思うのは、なんか言葉にできないってこと。岡本太郎とかレヴィ・ストロースとかが、この土器について言ってたようだけど、芸術家や知識人の言葉がぜんぜん似合わない、チンケに感じてしまう。・・・・それは、当時の人々・みんなの意識が結集してできたような感覚があり、個性を強調するような現代の芸術家の感覚とは、対極の位置にあるからじゃないだろうか?と思った。
・・・・下手な言葉はやめて、当時の人にただただ同化したい。みなさんもしばしよく眺めて、太古の縄文人に同化いかがですか?
↑国宝の火炎式土器、中越地震で損傷して、今は補修済みですが、免震装置らしきものの上に載っており、テグスで固定されている。火炎式土器は長岡の県立博物館などにもあるが、こいつが圧倒的にすごい感じがする。
しかしこの博物館、連休中なのにぼくらのほかに客ゼロ!展示は、縄文土器のほかに縄文人の四季の生活や墓についてもリアルに展示されていて結構おもしろいのに。この辺の人は、結構宣伝下手だからだろうか?(それに縄文土器の収蔵は相当あるはずだが、展示されているのは少ないし、すこし奥まっていて見えない土器もある。もう一工夫してくれるとありがたいなぁ・・・と思った。)
しばし火炎式土器を眺めて、次はそこから車で30分ほどの津南町に向かった。去年、この辺大雪で孤立してしまってニュースになってましたが、この季節の雪山と近くに連なる新緑・山桜の山々、そして信濃川の織り成す景色はすばらしい!です。
次に向かったのが津南町歴史民俗資料館でした。ようやく見つけたと思うとボロボロの藁葺き民家があって、傾きかけている。娘とカミさんぎょ !っとして・・とその脇に収蔵館らしい建物があり一安心 🙂 。ここもお客さんおらず、受付で聞くと本日はじめてのお客とのこと。
↑津南町歴史民俗資料館の様々な縄文土器たち。このほかに、大きな高さ50cmほどの大きな火炎式土器(重文)などたくさんの土器があった。また先土器時代から弥生式土器まで展示してあり、この辺りまで弥生時代あったんだと、連綿と続く歴史になにか感激してしまった。ここの資料館も雪国の生活や民具の展示もあり、なかなか面白い。
↑十日町博物館でみた、縄文時代の埋葬。頭に壷をのせている。これも死者を復活させないためにやっているのだろうか?
縄文土器をめぐる1日は終わりました。連休中は山で山菜をとり、山の精霊からも元気をもらい、ゆったりできました。みなさんはいかがでしたか?時間があれば是非、この地方にきて縄文土器たちと出会ってみてください。
またどなたか、みなさんに紹介したい遺跡とか博物館とかあれば、是非記事お願いします。
参考に、
火炎式土器とは?
by Hiroshi
投稿者 ihiro : 2007年05月13日 TweetList
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コメント
投稿者 tano : 2007年5月26日 10:09
tanoさん
確かに遠浅の海にとどまるという選択肢もあるでしょう。
その当時の食事情がわかれば、決死行に踏み出すという可能性もあるかもしれません。
もう少し調べてみます!
投稿者 さーね : 2007年5月26日 16:40
なるほどー
海洋技術を身につけたのは縄文海進があったからなんですか。
でも遠浅の海があったのにわざわざ八丈島まで行ったんでしょうね。決死行をするには、そこはまだ疑問が残りますね。
むしろ遠浅の航海をしているうちに黒潮に流された民が八丈島へ漂着したという説もあるように思います。(潮の流れがあるのでもどることはできない)