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2006年10月26日

縄文人って弓矢を発明?したんじゃないの?

るいネットやこのブログにて縄文の基礎情報がたくさん集まってきましたね :D
今日は、一風変って、新聞社の縄文に関するコラムを読んでみました。その中でも、弓矢の存在に注目しました。
デーリー東北新聞社~縄文紀行 北日本の遺跡~実像に迫る
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/tyouki_kikaku/jomon/jomon_menu.htm
参考にしたコラムは
6.韮窪遺跡”新兵器”弓矢の登場
7.大平山元1遺跡 揺らぐ縄文の年代感
です。
上記のコラムを参考に考察すると、もしかして縄文人って弓矢を発明 したんじゃないの (というのはオーバーで、適応するために自ら生み出したのではないか という説です)
shuryoumondoki.gif
縄文後期:韮窪遺跡「狩猟文土器」⇒見事に弓と矢が表現されてます
by さーね
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「6.韮窪遺跡”新兵器”弓矢の登場より」
>八戸市の韮窪遺跡から「狩猟文土器」(青森県重宝)が見つかっている。その器面には弓矢のほか落とし穴らしき「ピット」を使って、狩をする当時の図柄が描かれている。大きさ約二十六センチの深鉢形土器。
韮窪遺跡は縄文後期の遺跡で、弓矢の発明の証拠にはなりえませんが…
>だが、弓矢が登場するのは縄文「後期」以降ではなく、その使用時期は、これらの狩猟文土器が作られたころより、はるか昔にさかのぼる。国内の遺跡で弓が出現し始めるのは「早期」以降からだそうだが、それよりもさらに古いのである。
 それを知る上で重要なカギとなるのが、各地で「草創期」の遺跡から出土している矢じりの石鏃(せきぞく)。このころの弓と矢柄はまだ、国内では発見されていない。確たる証拠がないにしても“部品”の矢じりが見つかっている以上、縄文時代が始まる前後に、既に弓矢が使われていたことはほぼ疑いの余地がない。
どうやら、草創期より弓矢はあった。
じゃぁ弓矢の発明はいつ頃?
るいネット「弓矢の発明から、農耕・牧畜へ」http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=129329より
>・化石資料や洞窟壁画等から判断して、弓矢の発明はおそらく16000~14000年前頃。
で、なぜ縄文人が弓矢を発明したんじゃないか?と思ったのは、草創期は実はもっと遡るのでは?という記事を見つけたから。
以下、「7.大平山元1遺跡 揺らぐ縄文の年代感」より
>それから二十五年後。新たな調査に伴って同遺跡から出土した、炭化物が付着した土器(無文)片五個について「放射性炭素C14年代測定法」で、年代測定を行ったところ、何と一万二千―一万三千年前という結果が出てきた。
 それまで国内で一番古いとされていた隆起線文土器より、さらに古い無文土器の存在が浮上してきたわけだが、衝撃はそれだけで終わらなかった。さらに炭素年代判定の精度を高めるため、今度は「暦年代較正」という新手法を加えて分析したところ、問題の土器片の較正暦年代は、最も古い値で「約一万六千年」前、平均値で「約一万五千年」前、という数値が得られたのである。
えっ 1.5万年~1.6万年前?おっ…年代が符合する
もしかして、縄文人は弓矢発明したんじゃないの 思わず仮説を立ててしまいました。(もちろん、縄文人が発明したという意味ではなく、適応するために生み出したという考えです :o 。)
しかし、よく考えると意外に的外れではないかもしれません。例えば、縄文土器は世界中の土器と比較し、多様な種類や製法があり非常に高い文化であると言われています。また、祭祀や祈りの儀式に見られるように、その生活様式は工夫に富んでいたと見ることができます。
草創期の先人達にも、優れた工夫思考が備わっていたと考えるのは自然ではないでしょうか?
食料確保,外敵への対応…弓矢があったからこそ、定住⇒縄文文化の繁栄に繋がったのではないでしょうか

投稿者 postgre : 2006年10月26日 List  

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コメント

こんばんは!
ウバイド文化って不思議ですね。ウバイド文化は南部から発祥して、北部含むメソポタミア全体に拡がったらしいですが、武器らしきものが発掘されていないので、力で押していったというよりは、人のいないところに拠点を築いて次第に縄張りを拡大していったのかもしれませんね。
ただ、ウバイド終末期になると防壁のようなものが出始めているので(掠奪闘争?)だいぶ様子が変わってきますよね。

投稿者 Hiroshi : 2006年10月28日 18:56

hiroshiさん、こんにちは。
ウバイド文化の広がりの原因は色々考えられますね。
もともとウバイド人(という人種がいたかどうかは不明ですが、ウバイド文化の担い手という意味で使わせてもらいます)は、それ以前の小氷河期のころから、寒い北部より、少しでも暖かな南部に南下してきたと考えられ、とするとウバイド文化が南部から北上するに当たり、その地域には何かしらの部族がちらほら存在していると考えられるのではないでしょうか。
ただ、ウバイド文化の広がりの頃、既に北部の部族をも”侵略=支配”したのかどうかはちょっと怪しいですね。
友好的に文化が広がるのではなく、”侵略”となると、もう少し違った原因が必要ですね。

投稿者 saah : 2006年10月30日 11:43

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