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2007年01月11日

縄文人はどんな服装だったのか?

かつては毛皮を腰に巻いて、原始的な生活をしていたと考えられていた事もあったようですが、実際には想像以上に洗練された服装をしていた ことが分かってきました。かなりおしゃれな人々であったようです。
Jyoumon_Fuku1.jpg
以下は縄文人の服装について良くまとまっているサイトです。
縄文人は刺青もしていたようです。これにはかなり驚きです。
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まず、鹿皮などで作った貫頭衣型(ワンピース型)の衣服が考えられます。しかし、一人分を作るのには鹿皮だと二頭分が必要になり、皮製の服は貴重品であったと思われます。(または、冬の防寒用としていたとも考えられます。)
その為普段は植物性繊維の衣服を着ていたのではないかと考えられます。
素材的には、クズ、アオソ、アカソ、イグサ、ヤマブドウの蔓、樹皮などが考えられますが、もともと、繊維を撚ったりして縄などを作ることなどお手の物だった縄文人にとっては、比較的に簡単な作業であったと考えられます。
夏は涼しい植物性素材の衣服を、冬には皮製の衣服をと、使い分けていた可能性があります。
シャツ状の上衣とパンツ或いはズボン状の下衣の組み合わせも当然考えられますが、現代風のズボンは作るのが難しいので、布を脚にあてて、部分的に後ろで縛るような物だったと考えられます。
縄文前期以降は、ドングリなどの堅果類のアク抜きをした時に出たタンニンで皮をなめしていたようです。
布を補強する目的も兼ね、刺繍がなされていたのではないかと考えられてもいます。

※上記の植物性繊維の衣服もかなり精巧に作られていた可能性があります。以下は約1万年前、約6~5千年前の縫い針です。これは現代とさほど変わりはありません。1万年前からこんな針が使われていたとはこれまた驚きでした。
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 ↑長野県 栃原岩陰遺跡から発見された鹿角製のぬい針(約1万年前)
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 ↑青森県山内丸山遺跡のぬい針(約6~5千年前)
縄文時代のはじめには骨や角で作ったりっぱな針がつくられていました。それも今の針のような細いものから、五寸釘(ごすんくぎ)くらいのまで、それは様々です・・・それほどの大小そろった針があるということは、ちゃんとした服があったことを表しています。 縄文人のくらし
By:R

投稿者 mrran : 2007年01月11日 List  

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コメント

こんにちは
ひとつ気になる記述があったので、ぶしつけながらコメントさせていただきます。
龍が皇帝の象徴であるのは、自然を自由に扱うこと=民衆を自由に支配することというように書かれていますが、古代において、統治には治水が不可欠であり、言い換えると、水を治めて、民衆のくらしを安定させるものが、統治者で、つまり、水を治めるもののシンボルとして、水神である龍が用いられたという説がありますよ。民=自然として皇帝=龍とするには飛躍がありすぎるように思います。
さらに言いますと、中国でも龍を皇帝の象徴とするのは北方系(黄河流域)で、南方系(揚子江流域)の王朝では朱雀を皇帝の象徴としていました。後代になって、北方系王朝が勢力を拡大して行くにしたがって朱雀の扱いは変わっていったと聞きました。
黄河流域では、気候の問題もあり、特に治水が農作などで重要であったこともあり、水神=龍を重要視していたそうです。
学生時代に研究室で酒の肴に先生方に聞いた話で、「なぜ南方系王朝の象徴は朱雀なのか」や、出典など重要な部分があやふやで申し訳ありません。
広く知られた説のようですので、中国古代文化関連の書物をあたれば、すぐに見つかると思いますよ。

投稿者 おせっかいばば : 2008年10月1日 03:55

こんにちは
さきほどのコメントに誤りがありましたので、訂正いたします。
南方系王朝の象徴は「鳳凰」でした。
朱雀て…。恥ずかしい…。
失礼しました。

投稿者 おせっかいばば : 2008年10月1日 04:31

「おせっかいぱぱ」さん、こんにちは。だいぶ前の記事でしたがコメントありがとうございます
王朝の象徴に関して諸説あるのは確かなようですが、中国北方系王朝の象徴が「龍」で、南方系王朝の象徴が「鳳凰」という件についてさっそく私も調べてみました。
その違いはどうも中国の古代思想である「五行思想」に基づくものではないかという説が有力な気がします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3
五行思想によれば、五行(木、火、土、金、水)はそれぞれ方位とも関連付けられており、水は北を、火は南を表すとされています。、よってそれぞれ水の精=龍、火の精=鳳凰がその地を治めるものの象徴となったのでしょう。
ところで、水や火といった自然現象を治める存在=精霊の存在を信じる考え(=精霊信仰)は、自然に対する畏怖の念と、自然への同化によって作られるものですが、これが王家や王自身の象徴になること自体が、権力者によって自分自身を神格化し、権威付けの為に利用したといえるのではないでしょうか。(そうでなければ、なぜ自然の神を自分自身と同じものとみなす必要があるのでしょうか)
ちょうどこの記事をアップした当時、当ブログでもメソポタミアにおいて同じような王の神格化→王の権威化の話題で賑わっていたので、通じるところがあると思いました。
このように、歴史で語られていることを別の視点で見てみると(=どう考えると論理的に繋がるか?)、以外に常識と思っていたこととは違った事実が見えてきますね。その為にももちろんそれが正しいのかどうかを検証する為に、みんなでどんどん新しい事象や意見を出していければいいと思います。
これからも遠慮なくいろんな意見を書き込んでください。

投稿者 saah : 2008年10月2日 21:50

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