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2007年09月15日

縄文:鹿を狩る縄文人の意識とは?

今晩は、さーねです :o 今まで食料といえば、堅果類や穀物などが注目されてきましたが、今日のるいネットサロンで、動物にも注目してみよう!ということになり、今日は鹿を調べてみました :D
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写真はエゾシカ すごい角…こんなのを捕まえるって…
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デーリー東北新聞社のコラム~是川文化よみがえる縄文を参考にさせていただきました :o

「動物骨の破片数の出現率は、D区はシカ三十一個(75・6%)、イノシシ二十六個(14・6%)、その他三十個(19・2%)…」
 「その他」はムササビ、ワシ・タカ、ノウサギ、クジラなど。小動物や鳥類、魚類も含まれているが、狩りの本命は大型哺乳(ほにゅう)類のシカやイノシシだったようである。
 イノシシには幼獣が含まれていなかったという。他の遺跡でも、大型動物はオスの成獣が多く、メスや幼獣が見つかるケースは少ない。中居でも、手当たり次第の乱獲ではなく、保護を考えながら狩りをしていたのだろう。

縄文遺跡で出土する動物骨の中で、鹿骨の出土率は全体的に高いようです。イノシシと違い、攻撃性が少ないからでしょうか
また、ここから、縄文人にとって動物はどんな存在であったか?が読み取れると思います。単に「保護」と言ってしまうと、非常に現代人的意識ですね。縄文人の意識には、自然への信仰=精霊信仰があるからではないでしょうか :P
自然≒動物は、彼らにとっては自分達が生かされている対象世界そのものであり、感謝の対象であった。この意識が根底にあるからこそ、種の保存を常に意識して狩猟に赴いたのだと思います :o

ここで、また三内丸山に登場してもらう。青森県史所収の「主要な哺乳類動物遺体の組成」によると、大半はムササビとノウサギで、小動物が圧倒的に多い。逆に、シカとイノシシは極端に少ない。中居と三内では、主役と脇役が完全に逆転している。年代が違うのでこれも単純に比較できないが、津軽方面に大型動物が生息していなかったのか、というとどうもそうではないらしい。
三内丸山と時代が一部重なる南郷村の畑内遺跡では、シカとイノシシの骨が大量に出土しているからだ。以前、京都大学の河合雅雄名誉教授から、こんな話を聞いた。「シカもイノシシも雪に弱い動物。特にシカは雪が前足のひざまでくると、もう歩けなくなる」
 大型動物が雪を敬遠し、津軽から南部方面へ“移動”した可能性もあるようだ。それが結果的に、狩猟形態の違いとなって表れたものか。
 縄文後期末―晩期末まで寒冷化が続いたといわれる。だとすれば堅果類のトチへのこだわりや、石鏃の“増産”方針は、厳しさを増す一方の気象条件下で、中居が食料獲得に向けて、打ち出した“サバイバル戦略”だったといえるのかもしれない。

食確保という恒常的な外圧の中で、狩猟という生産様式は、非常に難易度の高い様式であったと推測されます。九州では、矢じりが腰椎に突き刺さった人骨が出土しており、狩猟時、仲間が誤って刺してしまったのではないか?と言われています。それくらい、皆で死力を尽くし、獲物を獲得したのだと思います :-(
置かれた環境条件の中で、縄文の各集団が様々な生産様式に特化したものと思われます。狩猟は、ともすれば野蛮な生産と思われがちですが、縄文人は常に自然に対する畏敬の念を抱き、自らが存続するための適応様式だったのだと思います

投稿者 sawatan : 2007年09月15日 List  

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コメント

こわっ・・・い!
怖すぎる。
古代中国でも生贄とか殉死が盛んだったようです。
生贄の血を飲んで結束を誓うとか・・・。
考えるだけでゾゾ・・。

投稿者 Hiroshi : 2007年9月30日 11:33

今の世の中の”感覚”からすると、生贄って「迫害型」的な感じに考えてしまいます。多くが「供犠型」だった昔とはそれほどに精神世界が違っているということですね。

投稿者 現代人 : 2007年9月30日 19:12

生贄の意味でビミョーだなと思う事。
「供犠型」でも、ささげる側の意識が、神から与えられるものを期待している(ご利益)場合は、「迫害型」同様自分勝手な人間の自我が垣間見られる気がしますが?

投稿者 yutaka : 2007年9月30日 19:38

はじめまして、ブログをたどってきました。
ブログ題「卑弥呼が埋めさせた大量の銅剣と銅鐸」を発見けたい人この指とまれ! 出雲で大量の銅剣と銅鐸が出土した! 共通の文化には共通の事象あり!!、ならば、野洲や神戸でも必ず“大量の銅剣”が埋められている! それは、ピンポイントで予測できる。出雲に習えばいい!!。 神戸住吉川上流・荒神山・大月地獄谷(詳しくは、myブログヘ)この神無月に集い、ワイワイガヤガヤしませんか?
新しく、カウント窓を設けども、ポチを押すのは、我ひとり! ・淋しいぃ~(笑)

投稿者 史実探偵: 平 素人 : 2007年10月8日 14:19

ある朝の戸口に、白羽の矢が刺さっていた。その社会制度は、三歳~七歳までの幼子を召し上げ、人里離れた山奥に「境内」をさだめ、「人身供儀用の神子」として大切に育てていた。「私達には、これ以上大切なものはありません。この子の命を煙りに変えますから、どうぞ、この煙を雨雲に、慈雨に換えてください!」 卑弥呼はその生け贄文化を、言いかえて銅鐸荒神文化を、銅鏡(太陽主神)をつかう象徴物文化に変えさせようとした。

投稿者 史実探偵: 平 素人 : 2007年10月9日 19:44

平さんこんにちわ。
コメントありがとうございます。
今回は「世界の歴史に見る生贄」ということで調べてみたのですが、日本の生贄文化については、特に未知数な点が多いです。卑弥呼と生贄についても興味がそそられます。
平さんのブログへも是非お邪魔したいと思います。
今後もよろしくです。

投稿者 bunbun : 2007年10月13日 22:08

遅くなってゴメンナサイ。記念すべき初コメントを頂いているのに、お礼が言いたくてもブログ見習生の素人は、同じ画面をさがすのが大変で、やっとたどり着きました。「初コメ」ありがとう御座いました。スゴイ分析のご記事がいっぱいです。今後ともよろしくお願い致します。今日は(笑)ゆっくり寝みます。

投稿者 平 素人 : 2007年11月9日 02:51

遅くなってごめんなさい。記念すべき初コメントのお礼を言いたくても、ブログ見習生の素人は、同じ画面をさがし出すのが大変で、やっとたどり着きました。「初コメ」ありがとう御座いました。スゴイ分析のご記事がいっぱいです。今後ともよろしくお願い致します。今日は(笑)ゆっくり寝みなす。

投稿者 平 素人(ヒイラ モト) : 2007年11月9日 03:09

ダブルでかましてましたぁ~(!汗!)、またまたゴメンナサイ!

投稿者 平 素人(ヒイラ モト) : 2007年11月9日 03:25

bun bunさん> ここは、個人ブログではなかったのですね。その「本質の追求」応援します。
その「人身供犠用」として稚児を隔離して大切に育てていた社会制度のなごりは、今でも残っていますよね。一歳の宮参りで登録し、七歳でその役目が払われる「厄あけ」。その届けをうける「役場」は、人里離れた「ここは何処の細道じゃ~、天神さまの細道じゃ~、・・・」にあった。

投稿者 史実探偵: 平 素人 : 2007年11月10日 06:51

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