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縄文:鹿を狩る縄文人の意識とは?

今晩は、さーねです 😮 今まで食料といえば、堅果類や穀物などが注目されてきましたが、今日のるいネットサロン [1]で、動物にも注目してみよう!ということになり、今日は鹿を調べてみました 😀
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写真はエゾシカ すごい角…こんなのを捕まえるって…
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デーリー東北新聞社のコラム~是川文化よみがえる縄文 [4]を参考にさせていただきました 😮

「動物骨の破片数の出現率は、D区はシカ三十一個(75・6%)、イノシシ二十六個(14・6%)、その他三十個(19・2%)…」
 「その他」はムササビ、ワシ・タカ、ノウサギ、クジラなど。小動物や鳥類、魚類も含まれているが、狩りの本命は大型哺乳(ほにゅう)類のシカやイノシシだったようである。
 イノシシには幼獣が含まれていなかったという。他の遺跡でも、大型動物はオスの成獣が多く、メスや幼獣が見つかるケースは少ない。中居でも、手当たり次第の乱獲ではなく、保護を考えながら狩りをしていたのだろう。

縄文遺跡で出土する動物骨の中で、鹿骨の出土率は全体的に高いようです。イノシシと違い、攻撃性が少ないからでしょうか
また、ここから、縄文人にとって動物はどんな存在であったか?が読み取れると思います。単に「保護」と言ってしまうと、非常に現代人的意識ですね。縄文人の意識には、自然への信仰=精霊信仰 [5]があるからではないでしょうか 😛
自然≒動物は、彼らにとっては自分達が生かされている対象世界そのものであり、感謝の対象であった。この意識が根底にあるからこそ、種の保存を常に意識して狩猟に赴いたのだと思います 😮

ここで、また三内丸山に登場してもらう。青森県史所収の「主要な哺乳類動物遺体の組成」によると、大半はムササビとノウサギで、小動物が圧倒的に多い。逆に、シカとイノシシは極端に少ない。中居と三内では、主役と脇役が完全に逆転している。年代が違うのでこれも単純に比較できないが、津軽方面に大型動物が生息していなかったのか、というとどうもそうではないらしい。
三内丸山と時代が一部重なる南郷村の畑内遺跡では、シカとイノシシの骨が大量に出土しているからだ。以前、京都大学の河合雅雄名誉教授から、こんな話を聞いた。「シカもイノシシも雪に弱い動物。特にシカは雪が前足のひざまでくると、もう歩けなくなる」
 大型動物が雪を敬遠し、津軽から南部方面へ“移動”した可能性もあるようだ。それが結果的に、狩猟形態の違いとなって表れたものか。
 縄文後期末―晩期末まで寒冷化が続いたといわれる。だとすれば堅果類のトチへのこだわりや、石鏃の“増産”方針は、厳しさを増す一方の気象条件下で、中居が食料獲得に向けて、打ち出した“サバイバル戦略”だったといえるのかもしれない。

食確保という恒常的な外圧の中で、狩猟という生産様式は、非常に難易度の高い様式であったと推測されます。九州では、矢じりが腰椎に突き刺さった人骨が出土しており、狩猟時、仲間が誤って刺してしまったのではないか?と言われています。それくらい、皆で死力を尽くし、獲物を獲得したのだと思います 🙁
置かれた環境条件の中で、縄文の各集団が様々な生産様式に特化したものと思われます。狩猟は、ともすれば野蛮な生産と思われがちですが、縄文人は常に自然に対する畏敬の念を抱き、自らが存続するための適応様式だったのだと思います

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