2006年10月23日

2006年10月23日

インダスの人は装飾好き!?

インダス文明時代、インダスには紅玉髄という石や瑠璃の加工して作るビーズ工房がたくさんあったようです
またインダスから出土されている土偶は、これでもかと思うくらいの装飾品をつけているそうです
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page004.html
さてさてここで少し疑問が
なんでそんなにインダスの人は装飾品をみにつけたのでしょうか
るいネットでもインダス文明についていろいろ議論されていて、こんな投稿を見つけました。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=120651
確かに現代人の感覚だと装飾品=性市場というのは考えやすいですが、当時の装飾が持つ意味合いは“魔よけ”の意味合いが強いと言われています。そう考えるとやっぱり“魔よけ”ためにたくさんの装飾品をつけていたと考えるほうが、妥当な気がします。
それじゃあなんでそんなに“魔よけ”に力を注いでたんだろう 🙄
またまた疑問が湧いてきました
どなたかこの謎が解明できた方いらっしゃれば、ぜひぜひ教えてくださ~いo(^0^)o

投稿者 nkktchnm : 2006年10月23日  

2006年10月23日

インダスの海上交易の不思議

>古代の交易が支配者の威信を維持するための財貨の入手にあるとき、メソポタミアとは違って、インダスには専制的で好戦的な王はおらず、ほとんどの奢侈品は自給されていた。事実、インダスにはメソポタミア産の遺物は、ほとんど出土していない。インダスが、確かにマガンの銅やメソポタミアの一部産品を輸入していたとしても、その輸入量はわずかであったであろう。
>インダスやペルシア湾の商人たちの、きわめて少数の船が少量の貨物を積み、年1回、せいぜい隔年くらいで、それぞれの交易地に訪れる程度であったとみられる。ただ、ペルシア湾内においては、安定的とはいえないとしても、連続的な海上交易が行われていたであろう。
 とあるが、これほどぜい弱な交易であっても、紀元前2500年~1800年までの約700年間は存続していたとされている。何故これほど長い間続いたのか、何が目的で行われていたのか、具体的に何が取り引きされていたのか非常に気になるところだ。
 その具体的なものとして提示されているのが、真珠や象牙、マガンの銅、メソポタミアの一部の産品である。つまりインダスの人々はマガンの銅が目当てで交易を行っていたのでは、と考えられる。もしくは、他の国々が真珠や象牙を目当てにしていたか…どちらにせよ銅の代わりに鉄が使われるようになってからはインダスの人々にとって交易があまり意味のあるものでなくなったのではないかと思う。

投稿者 postgre : 2006年10月23日  



 
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