2007年7月13日

2007年07月13日

アイヌについて

先日naotoさんが、アイヌの婚姻形式について投稿されていますが、そもそもアイヌってどんな人たちなのと、素朴な疑問が起こったので、少し調べてみました。
 
> アイヌとは、「人間」を意味します。アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を神(カムイ)とみなし、日々の生活のなかで、祈り、さまざまな儀礼を行いました。
 それらの神々には、火や水、風、雷といった自然神、クマ、キツネ、シマフクロウ、シャチといった動物神、トリカブト、キノコ、ヨモギといった植物神、舟、鍋といった物神、さらに家を守る神、山の神、湖の神などがあります。そういった神に対して人間のことを「アイヌ」と呼ぶのです。

http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/nyumon.html
(アイヌ文化入門)
 
 
%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%9C%8D.jpg
 
 
アイヌって、アイヌの人々のことの総称程度の認識だったのですが、「人間」そのものを意味しているとは知りませんでした。
 
一方で、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を神(カムイ)とみなしたいたということですが、自分たち恩恵をもたらしてくれるもの等を敬いの対象=神として認識していたということをだと思います。
 
これは、自然の恵みに感謝の念を抱くという、日本人が潜在的に持ち合わせているであろう感覚に近いようにも感じます。
 
しかし、一方で
 
>これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、日本人(シサム・シャモ)とアイヌとの交易量が増えてきた17世紀末から18世紀初めにかけてだとされている。理由はアイヌが、「蝦夷(えぞ)」と呼ばれるのを嫌い、「アイノ(アイヌ)」と呼ぶように求めたとされているが、呼称そのものが普遍化したのは明治以降になってからのことである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
(ウィキペディア)
 
 
アイヌの大地に、進出してきた当時の日本人に対して、自分たちを神々と対の言葉である人間という意味の「アイヌ」であると呼ぶように求めたんですね。アイヌの人々にとって、領土や交易の拡大を目的とし、この大地の神々との関係を重視しない日本人は、この大地に根ざした自分たちとは違った人種の人たちであるという風に映っていたのでしょう。
 
実際、アイヌの地にやってきた日本人(和人)は、だまし討ち等を行うことで戦いに勝つ、明治以降の和風化を強制する政策等、結構ひどいことをやっていたようです。
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/hito/rekishi/rekishi.html
(アイヌの人達とともに)
 
 
アイヌの人たちの自然観について、以前このブログでtanoさんもご紹介されていた萱野茂さん言葉に、言い表されていると思いますので、紹介させていただきます。
http://www.kodai-bunmei.net/blog/2006/11/000046.html
 
 
>したがって、遠くに見える山、近くを流れる川、沢など、これらの自然はアイヌにとっては神様であったのです。山も木も川もみんな神様です。なぜそれを神様と考えたのか。それは自然全体、山も川も沢も、これらはいつも新鮮な食料を供給してくれる食料貯蔵庫であったのです。ということは、川があるから魚がいる。木がはえているからシカがいる、そこへ行って食べ物をちょうだいしてくるという謙虚な心をつねづね持っていました。このように自然を神と崇め、豊富にある物といえども乱獲を慎み、それによって神=自然とアイヌの間に相互信頼が確立していたのです。
「アイヌの里二風谷に生きて」 萱野茂著 北海道新聞社刊 より引用

http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeWorld/Ainu.htm
 
 
%E8%90%B1%E9%87%8E%E8%8C%82%EF%BC%94.jpg
 (萱野茂さん)
 
 
アイヌの人たちの、自然に対する想いが、伝わってくるようです。
この自然観に、何かしら感動を覚える人も多いのではないでしょうか。
このことは、私たちの中にも、アイヌの人たちに通ずる自然観を潜在的に持ち合わせているからだと思います。
あらためて気づかされる、大切にしていきたい感覚です。
↓ クリックもよろしくです!
Blog Ranking    にほんブログ村 歴史ブログへ

投稿者 yuyu : 2007年07月13日  



 
Secured By miniOrange