2010年8月22日

2010年08月22日

シリーズ「日本人の“考える力”を考える」第2回~追求の立脚点

こんばんは。
新シリーズ「日本人の“考える力”を考える」を担当しますtanoです。
現在、シリーズの初回の記事「縄文土器、土偶にみる縄文人の思考力」を構想しており、スケジュールが少し遅れていますことをまず読者の方にお詫びします。
このシリーズは縄文時代から始まるわけですが、その理由は日本人の“考える”という思考力の原点が縄文時代にあり、その力が現在まで日本社会の中で温存されてきたのではないかという仮説に基づいています。
その仮説の根拠は既にこのブログでもこれまで多く投稿されてきたように日本人とは何か?を考えるにつけ、私たちの感覚レベルの中に深く浸透している、言葉や明確な定義によらない“何か”=日本的なるモノの中にあるように思い、なかなか明確、明文化できなません。それは、それらが言葉以前のより深い位置に存在している故ではないかと思います。
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そんな事を考えている時に、当ブログにあたらな仲間として会員になられた方よりかなり共感できるメール をいただきました。
今日はその文章 を紹介をさせていただき、このシリーズを始める立脚点としていきたいと思います。
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投稿者 tano : 2010年08月22日  



 
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