2020年12月3日
2020年12月03日
コロナ後は生活が変わる~江戸に学ぶシンプル生活の知恵1 「モノを使わない」という理念
コロナ禍の出口はどうなるか?
コロナが落ち着き、再び何もなかったかのように以前の暮らしが戻るのか?あるいは社会は貧困になり犯罪が起き、世の中が乱れるのか?現時点では誰も予測できない。しかし、来年早々には年度を越せずに倒産する中小企業、大企業が相次ぎ、人々は職を失い、国家の借金は膨れ上がり、中央銀行制度が崩壊、国家紙幣によってそれまでの預金は吹っ飛び、BI(ベーシックインカム)制度が始まると社会はもう元に戻れない。
さらに環境破壊阻止の為に人工物質が法制で制限されてくるとモノが高価になり、貴重になっていく。それは憂うべき事なのか、前に進んだ新しい形なのか?少なくとも都市への集中が緩み、贅沢な生活スタイルが変わり、農業が再生、工業生産は低下、環境汚染は改善され、荒んだ人々の心は反って正常化していくのではないか?今は断捨離やエコと言われる生活も普通に誰もが迎え入れる新しい粗食とシンプルな生活スタイルに馴染んでいき、やがてその方がよい、楽しいという事に気が付いていくのではないか?何より様々なところで工夫が生まれ、同時に人と人との間に繋がりが出てくる。
ついこないだ(30年前)までバブルに興じてきた日本は既にこの30年でその水準を下げた生活スタイルを始めている。それがより鮮明により普遍的に広がっていくのではないか。これから数回の縄文ブログでは江戸の暮らしを紹介しながら、コロナ後の私たちの生活を未来予想してみたい。第1回はブログ「江戸時代に学ぶ」より紹介してみます。
江戸時代,特に江戸には「ゴミ」を欲しがる人がたくさんいた。例えば,紙ゴミについてみると,資本を投じてゴミを集める業者がいたし,さらには道などに落ちている紙を拾って換金する者がいて完璧にリサイクルされていたのだという。
江戸時代では,紙だけでなく,様々なモノが回収されリサイクルされていたということはよく知られたことではある。古着,桶や樽などの木製製品,刃物などの金属製品,傘,さらには汲み取り便所に溜められた下肥を回収・流通させる業者までいたそうである。江戸がリサイクル社会であったのは,人口が100万人ちょっとで,人間が出す廃棄物の量が少ないために自然の物質循環にのせることができたことが大きい。また,そもそもモノの生産力が低く,モノ不足であり,モノ自体の価値が高かったということが挙げられるだろう。こうした点は江戸時代特有の事情のようにも見える。高度な資本主義社会である現代はそこから何を学べるのだろうか。
それは,電気もクルマもないという江戸時代の「実体」に戻ることではなくて,江戸時代が生んだ「モノを使わない」という「理念」に学ぶということだと思われる。「どう変える」かを考える際に参考になるのが,江戸時代の人々が持っていたライフスタイル観であろう。石川氏は番組の中で,「モノがない江戸時代の暮らしはとても楽だったのです」と語っていた。モノがない生活を嫌々やるのではなく,楽しむと思うことが,価値観の変革につながることだと考えられる。
現状では,どこまで省エネ生活をしたらよいのかは,各人の判断に任されており,その結果,一生懸命エコ生活をしている人としていない人の間で「不公平感」を招いているようにも見える。不公平感を持つのは,省エネ生活が損だという価値観がどこかにあるからである。これを解決するには,「省エネ生活のほうが楽だ」というように価値観を変えることが大切なのではなかろうか。資本主義の原理と相反する面もあり決して容易なことではないと思うが,そのヒントが江戸時代にあるという見方はあながち間違っていないとも思うのである。
また,視点をもう少し広く見ると,人口100万人という小規模な「閉鎖系」であることから循環型社会を実現できていた,という「成功例」から学べる教訓はあるのではないかと思う。例えば紙の原料である木を伐採すれば山がどうなってしまうのか,下肥を無秩序に捨てたら江戸の町がどのように汚れてしまうのか,といったことが「見える」ほどに「江戸」は小規模だったということではないかと思われる。
現代社会は,グローバル化によって,製品のライフサイクルが世界規模に拡大した。どこか遠くの国から無尽蔵なエネルギー・原料がやってきて,どこか遠くの国が使用後の製品や廃棄物をいくらでも使ってくれて処理してくれる,という錯覚があるのではないかと思う。今深刻化している環境問題とは,「開放系」だと思っていた地球が,規模は大きいものの「閉鎖系」であった,ということなのであろう。しょせん地球と言っても,江戸が大きくなった程度の有限なもの,と考えることが最初の一歩ということなのかもしれない。
さきほど,江戸時代は人間社会が出す廃棄物を自然が処理できる循環型社会であった,と述べた。この人間の出す廃棄物の量と自然の処理能力のバランスを調整する役目をしていたのが,共同体であったと考えられる。資本のグローバル化の進展は,この共同体を解体した結果,人間同士のつながりと,自然とのつながりを同時に断ち切ったのである。
投稿者 tanog : 2020年12月03日 Tweet