2020年12月17日

2020年12月17日

海外から見た日本人の「仕事意識」「職人気質」

ずっと日本にいると気づかないようですが、一度日本を離れて海外から日本を見つめ直すと、海外の出回っている日本製品の性能、品質の高さに改めて気づかされるようです。その底流にあるのは、人の役に立つ、喜んでもらうために働く仕事意識」「職人気質」にあります。 その精神は縄文時代から引き継がれ、世界類まれな循環型社会を築き上げた江戸時代の人々の生活と産業で発展定着するに至ります。 今回は、古来から日本との接点の深い中国から見た日本人像について紹介します。

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投稿者 tanog : 2020年12月17日  

2020年12月17日

コロナ後は生活が変わる~江戸に学ぶシンプル生活の知恵3 協力が日常の長屋人はコミュニティーもイベントも要らない

江戸時代に学ぶというシリーズで続けていますが、第3回は江戸の人と人の関係という辺りでよい記事がありましたので紹介します。
江戸の長屋と現在の共同住宅、何が違うのか?そういう視点で書かれていますが、下記の記事を読むと全く違うもの。

共同住宅は固い玄関ドアで家庭というプライバシーが切り離されているが、江戸の長屋は薄い壁一枚。
そこは助け合い、互助の精神が中核になっていました。地域とか共同体とかを考える上でこれほど生々しい事例はない。
火事が多かった江戸の町、長屋とは文字通り様々な家族が繋がり人が生活も運命も一体になっていました。

コロナと人が密着している長屋とは全く馴染まないかもしれませんが、モノに囲まれ、塀で区切られた家の中に暮らす現代から一変するとしたら断捨離し、家族ではないバラバラの個人を繋げる共同体を求める、「江戸の長屋暮らし」的な方向性もあるのかもしれません。
少なくとも下記の記事を読むとなんだかすごく楽しそうで生き生きしていますよね。

深川江戸資料館職員 岡本綾さんの対談から紹介します
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─「長屋」という居住スタイルならではの長所・魅力を教えてください。

岡本 一棟を薄い壁で区切っているので、良くも悪くもプライバシーがない、というところですね。隣の家の生活音やけんかの声なども筒抜けではあります。しかし、長屋暮らしの人にとってはそれが普通でした。そのお陰で、お互いに家族の事情までよく分かっており、調味料や食べ物の貸し借りまでする、密な関係が築かれていったとも言えます。日ごろから、お互いの不足を自然と補い合って生活していたのだと考えられます。

─「集合住宅」という点では、現代のマンションにも近い印象を受けますが、その共通点と違いを教えてください。

岡本 確かに「集合住宅」という点では同じなのですが、共通点の方が少ないでしょう。今のマンションはプライバシーの保たれた住居が集まった、いわば一軒家の集合体です。一方、長屋は一家族ごとに住まいが区切られているものの、セキュリティや防音という意識はなく、井戸やトイレなどは共有です。どちらかというと学生寮に近いイメージかもしれません。

─では、そのような環境で快適に暮らすためにはどのような工夫があったのでしょうか。

岡本 工夫というわけではありませんが、「大家」の存在が大きかったとみられています。現代では「大家」といえば物件の所有者を指しますが、江戸時代における「大家」は長屋の管理人を指します。地主から長屋を預かり、家賃の集金から長屋住民の身元保証、迷惑をかける住民の排除など、長屋というコミュニティを健全に運営するキーパーソンとして機能していました。長屋住民が犯罪を犯した場合は大家がその責任を問われるなど、大変な重責だったため、より一層長屋の管理に意識が向きました。

─現代のマンションでは、コミュニティ形成のためにイベントなどを行い、住民同士の交流を活発にするという試みをするところも多いです。長屋でも、住民総出の「七夕の井戸浚い(さらい)」など、協力して行う行事もあったようですが。

岡本 長屋での行事は、現代のようなコミュニティ形成のための目的はなかったようです。コミュニティという感覚は、私たち現代人が過去を分析するにあたり使っている言葉だと思います。当時の江戸の人々は、助け合うことが当たり前の生活だったので、意図せず互助の精神も育まれていったと考えるのが自然です。普段の生活の延長線上に年中行事が重なっていたと見られます。例えば長屋の住民で協力して井戸を掃除する「井戸浚え」は、七夕の風習にのっとって一斉に行われていました。協力が日常になっている人々にとっては、「コミュニティ形成のためにイベントを…」という発想はなかったのではないでしょうか。

─そういった協力し合う日常は、どのように形成されていったのでしょうか。

岡本 100万都市と呼ばれた江戸ですが、人口の半数を占める庶民が住むことができたのは、全体の敷地のほんの15%でした。人口の増加とともに、住居も効率的に圧縮されていく過程で、長屋住民の人付き合いのあり方が形成されていったものと思われます。
井戸、厠、路地など、生活スペースの多くを共有することで、自然とお互いを助け合う空気が生まれ、密な近所づきあいが生まれていったという点は、長屋生活のコミュニティの特徴ともいえるのではないでしょうか。

─現代でも、東日本大震災を機に改めて防災が注目されつつあります。江戸では当時、火事が多かったと言いますが、長屋では災害時どんな対応をしていたんでしょうか?

岡本 江戸時代の265年間で大小合わせて2000件近い火事があったとの記録もあります。平均すると1年に7回前後、2~3か月に1回くらいはどこかで火事が起きていたことになりますね。江戸に住んでいる人は一生に1回は火事に遭う可能性があったのではと推測できます。現代日本では地震に対する防災意識が強いですが、江戸の庶民の防災意識は火事に対するものが大きかったようです。
普段から火の用心を心掛けていました。火事が起きたらまず家財道具を全て運び出し逃げるというのが前提だったので、住居の中には持って逃げることの難しい大きな家具などを置いている家は少なかったようです。下着から鍋釜、正装まで借りることのできる損料屋(そんりょうや)というレンタル業者を利用するのも一般的でした。
また、町ごとに木戸があり、番屋という詰所に見張りがいて、夜間に長屋に出入りするものを確認、不審者の侵入を防いでいました。外部のものが町を通るときは一人で歩かせず、拍子木を鳴らして次の木戸の木戸番に知らせる、次の木戸まで見張りが付き添って送るなど、厳重な注意をしていました。犯罪の抑制とりわけ放火防止の役割が大きかったようです。

投稿者 tanog : 2020年12月17日  



 
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