2010年7月18日

2010年07月18日

縄文集落を解明する第3回【縄文を学ぶ位置づけー5】

http://www.biological-j.net/blog/2008/07/000519.html%25E5%258D%2598%25E4%25B8%2580%25E9%259B%2586%25E5%259B%25A3%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25A9%25E3%2582%25B9%25E3%2583%2588.jpg
>しかし、経験的にも数十人と数百人ではその集団に要求される統合力はまるで異なると思われます。
数百人規模が定住するとなれば恐らくある程度の小集団毎の役割分担も発生したであろうし、もめごとを調整する集団統合機能が必要になったと考えられます。
縄文集落を解明する第2回【縄文を学ぶ位置づけー4】
なるほど!
人数が拡大していけばいくほど、従来の小集団をまとめる方法が通用しなくなりますよね。
そこを私たちの祖先である縄文人はどのように対応してきたのでしょう?非常に興味がわいてきますね。
ところで私たちが普段最も身近に意思疎通ができると考えている人数はどのくらいでしょう?
人によって多少のばらつきがあると思いますが、概ね5~6人くらいでしょうか。 🙄
ある サイト によれば、

・プロジェクトを進めていくなど意思疎通を常に必要とする人数の限界が5~6人に思える。
・係(部署の最小単位)の限界が5~6人であれば、課においては係長5~6人が限界となる。それ以上になると係それぞれの利益が課全体の利益と刷合わせができず、意見の相反が起こる。打ち合わせ、会議も5~6人を超えるあたりから話し手と聞き手がすっぱりわかれる。
・仮説であるが、5~6人が一係の限界、5×5~6×6、25~36人が課(または最小単位の上)の限界、5×5×5~6×6×6、125~216人が部(最小単位の上の上)の限界ということになるのではないか。
・人員を投入してもうまく行かない・・・その理由はここいらへんにもあるんじゃないかな。組織に限らず人が集まる場合には自然とそういう分け方になるんじゃないか。

とのこと。現代社会(特に企業集団)では、人が集められる限界があるように、縄文時代においても、人口が拡大していく過程では、一定規模単位での「分化」とそれを連携するための「統合」が必要でした。
今回は日本人初の分化と統合がどのように行われたのか?を追求してみます。
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投稿者 chai-nom : 2010年07月18日  



 
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