2022年11月18日

2022年11月18日

古代日本の東北地方~蝦夷の有力豪族の出自に迫る

前回の「蝦夷(えみし)の歴史を探る」中で「他にも、有力な氏族がいたのではないか」というあたりが次のポイントだと考えていました。そこを切り口に追求してみました。

具体的には、安倍氏です。
>安倍氏は俘囚長(俘囚の中から大和朝廷の権力によって選出された有力者)であったとの説が広く流布している。ウィキペディア

俘囚(ふしゅう)とは、陸奥・出羽の蝦夷のうち、蝦夷征伐などの後、朝廷の支配に属するようになった者であり、説をそのまま受け取れば、蝦夷の中から出てきた有力な氏族です。

安倍氏は平安時代の陸奥国(後の陸中国)の豪族として知られていますが、出自はよくわかっていません。そこを追求してみたいと思います。

安倍貞任(あべのさだとう)

今回も、松本正剛の千夜千冊を参考にさせて頂きました。
北上幻想 いのちの母国をさがす旅

(さらに…)

投稿者 sawane : 2022年11月18日  

2022年11月18日

縄文の埋葬~屈葬の意味とは?埋葬に込められた思いとは?~

縄文時代、亡くなった人を埋めて埋葬する、ということは、どうして行われるようになったのでしょうか?

魂が抜けるということ、仲間が動かなくなるということ、ずっと昔のご先祖様たちは、それらをどう受け入れ、見ていったのでしょう。
今回は、埋葬から、縄文人は自然をどう見ていたのかに迫っていきます!

 

●基本は『屈葬』。身体を曲げて胎児の姿勢に

縄文は約1万年間続いた時代。後期・弥生時代に入ってくると、全身を伸ばした状態(伸展葬)で埋葬する例も出てきますが、基本は「屈葬」でした。(屈葬の例は世界的にも中々なく、他の国ではアフリカの一部地域ぐらいにしか存在しないようです)

(國學院大學メディア様から写真をお借りしています。)

なぜ「屈葬」なのか。
これには「霊が浮遊しないよう動きにくい体制にするため」や、「安楽の姿勢=死後の世界でも安らかに眠れるように」、また「胎児の姿勢=再生の願い」など様々な仮説が立てられています。(ただ、“霊”や“死後の世界”という風に捉えていたかはまだ分からないポイント)

 

更に、身体を曲げるだけでなく、年代によっても少しずつ埋葬の仕方が変わっていたようです。

●「抱石葬」⇒石を抱かせて屈葬

先史時代の埋葬法の一種。先史時代の墓址(ぼし)から遺骸(いがい)を発掘した際に、その姿勢などから推定される葬法の一つで、座ったり、手足をかがめた遺骸の胸部のあたりに、人頭大ほどの石をあたかも抱かせたかのような状態で見出されるものをいいます。(コトバンクより引用)

( 公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 から写真をお借りしています)

 

●新生児は「土器」に入れて埋葬。「握りこぶし大の石」も入れる例もあり

当時の遺骸を見ると、大人より子どもの骨の方が圧倒的に多く見つかっています。

埋葬位置は住居跡に絡んで検出される場合が多く、主に土器に入れられているのは38週以上の新生児。38週以下の子(胎児)は、土壙などに埋葬されている例が多かったそうです。

また、埋葬時の儀礼であったのか、土器の中に、握りこぶし大の丸い石が1~2個含まれているものも見つけられています。

 

などなど、様々な特徴があることが見えてきました。
では、なぜ新生児は土器で、胎児は土に埋めるのか?なぜ石を傍に置くのか?
土器・土・石…それぞれに縄文人が見ていたエネルギー⇒込められた願いがあるように見えます。

 

例えば「抱石葬」

なぜ石を抱かせるのか。

これは「子宮の中」を忠実に再現しようとしているのではないか、という仮説を立ててみました。石は「胎盤」。穴を掘った土は「子宮内」。また埋葬の際、下に赤い染料を付けるなどは「血」=生命。に見立て、命が宿る子宮を再現したのではないかと思うのです。

そしてそこ(子宮)に身体を「還す」

現代人は「亡くなる」という事を、「終わり」「人生の終着点」という風に感じる事が多いですよね。

しかし縄文人にとっては、「死(=終わり)」という感覚も無く、生きている状態も死んでいる状態も、大きな流れの中の一つ。(腐った身体は土の栄養となり、植物がのび、動物が食べ…の循環)

 

縄文人は、自分たちの命や自然は「循環」しているものととらえ、死に際して「再生」を願ったのではないかと思います。

 

 

投稿者 oga : 2022年11月18日  



 
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