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2009年03月08日

3月の優良ブログ・HPの紹介ページ

こんにちわ。 🙂 管理人のtanoです。
縄文古代ブログは現在大きく4つのパートに分かれて追求しています。
1)縄文時代
2)弥生時代~古墳時代
3)古代アメリカ大陸
4)イスラム圏~チーム「宗教」・チーム「ユダヤ」

一見バラバラに見える4つのパートは大きくは歴史解明という部分で繋がっています。また歴史解明をなぜするのか?それには現在の時代の閉塞状況への答えを過去の歴史の中に求めていこうとしています。
いったい、人類はどこで道を誤ったのか?人類は今、自らが築いてきた全文明の見直しを迫られている。」改めて当ブログの冒頭に書かれているこの一節を頭のどこかに入れて、各メンバーの追求活動を行っていただきたいと思います。
さて、今月も毎日の記事UPよろしくお願いします。 🙂
このページへのコメントもメモ 代わりぜひ活用してください。
このHP役に立つなーとか
このブログ面白いからぜひ読んでよー

と思ったら直ぐ、このページに書き込んでください。
自分のパソコンのお気に入りに入れるよりいいですよ。

投稿者 tano : 2009年03月08日 List  

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コメント

すっごい建物ですね。ずばりと核心に突っ込んでくださいましたね。これで、イングランド銀行とシェイクスピアの関係が、すっきりしました。こんな単純な仮説は、縄文ブログにしかできないでしょう。
わたくしは、日本銀行と源氏物語の関係に、この10年ほど、悩まされているんです。

投稿者 高塚タツ : 2009年4月17日 19:27

高塚タツさん、早速のコメントありがとうございます。
このような仮説が立てられるのは、ブログ会員同士で、あーでもない、こーでもない、と議論できる場があるからだと思っています。
例えば、6人で、一人一つずつ調べてきたことを持ち寄れば、一気に6つの資料を扱いながら議論できます。これは大きいですよ~。

投稿者 カッピカピ : 2009年4月18日 12:45

>イギリスが、国王チャールズ一世の処刑からはじまった、名誉革命の末、立憲君主制となったからだと思います。
このあたりのユダヤの動きは非常に怪しい。
この名誉革命の40年前ほどの清教徒革命以前から国王の追い落としを仕組んでいたのではないか?
そしてオランダで傀儡ウィリアムを育て、イギリス国王に担ぎだした。その一大プロジェクトを仕組んだのがスペイン→ポルトガル→オランダと移動してきたユダヤ。
いずれにしても、国王・政治家を傀儡にする原型がこの辺にありそうです。彼らなりに考えつくしたのだと思う。
また次回楽しみにしてます。

投稿者 Hiroshi : 2009年4月21日 00:45

Hiroshiさん、コメントありがとうございます。
Hiroshiさんのコメントには、次回の追及テーマになるようなことが次々に書かれていくので、いつも楽しみにしています。これからも、よろしくお願いします。
もし、Hiroshiさんの言うように、「国王の追い落とし→傀儡政権→中央銀行の設立」という一連の流れがユダヤ人の策略であるならば、非常に恐ろしいことです。しかし、現在の国際金融資本家による、メディアを使った巧みな支配構造から推察するに、それも十分有り得るのではないかと思えてきます。
まだどこから手をつけてよいか分からずにいますが、引き続き追求していきたいと思います。

投稿者 カッピカピ : 2009年4月22日 00:28

 失礼を承知のうえで申しあげる。お赦しいただきたい。
 まず、株式会社とは、資本となる財産を広く浅く集めるための会社制度である。応募する株主は、必ず現金か現物で財産を会社に払い込まねばならない。これによって株主は会社社員たる地位を得る。この地位を株主というのだが、会社社員たる地位によってできることは取締役を選任することと解任することと配当と倒産時の残余財産を受け取ることだけであるといっても過言ではないかもしれない。
 大きな会社は、株主の数が優に千を超えており、万も越えていることがある。つまり、株主は何千、何万人のうちのひとりでしかないのである。従って、会社法という現在の日本法は何とかしてこのよわよわしい株主を保護しようと努めているが、近代より歴史的にそうであり続けたように、常に株主は取締役の専横にその権利をさいなまれ続けてきたのである。
 すでに財産を払い込んでしてしまった万を超える集団意思決定もおぼつかない株主たちと、たった一人で会社中の財産を管理しいつでも好きな時に好きな使い方をできる権限を有する代表取締役と、どちらのほうがより強力と思われるか?
 もちろん取締役であろう。だから、一人一人ならば当然に弱く、集まっても多すぎて意思統一できずに弱いという、株主を守るためには、法が株主の保護のために制定される必要があったのだ。
 さて、イングランド銀行は、ユダヤ人が株主としてどうとかこうとかいうことであるが、以上のように株主は弱い存在であり、ましてや現在の会社法のような株主を保護する法もなかったイングランド銀行創設期にその株主となったユダヤ人が王をも傀儡とするほどに強力であったというは、いったい、いかなる理由と気持からかと疑問に思うのである。
 そうではない。現実は逆であるのだ。株式を買わさせられたのである。弱いがゆえに、断れないがゆえに、買わされたのだ。南海泡沫事件を見ていただきたい。いかにイングランド人が会社という結社を危険視していたかお分かりいただける。今の時代を生きる我々はアメリカ式の株式会社こそを会社であると知っているので会社は個人より信用があると思っているが、イングランド銀行設立時の会社という概念には全く信用はなかったのである。当時は個人商人のほうがより信用されていたのであり、会社などに投資をする者は、浮ついた愚か者といわれる時代であったのだ。特にその風潮が強烈であったのがイングランドであり、スコットランドであり、そのような時代の中で株式を買わされる者が強力なわけがないのだ。
 「ユダヤ人はわるい。金を持っているに違いない。危ない投資はあの者たちにさせればいいのだ。失敗してもそれはあの者たちの損失にしかならない。それにあの者たちは異教徒でもある。異教徒が損の危険を負担し、イングランドに有益であれば一石二鳥ではないか。」というのが、当時の風潮であったというほうがより信憑性があろうと思う。
 イングランドでもユダヤ人迫害は強烈であり、大陸諸国と違って、法の権威の低い国であったから官吏がこれを取り締まれないので、民間人が主体となって私的に迫害を推進していたのである。大陸諸国では、国家機関による迫害であるから、国家機関に敵対しないことで迫害を免れ得たが、イングランドでは、民間人の思い付きによる迫害であったため、わいろも効き目がなく、警察も見て見ぬふり、教会もかくまってくれず、突発的に無秩序に襲撃されるという無法かつ残虐な迫害であったと聞く。たとえば、切り裂きジャック事件の時に犯行現場にブドウの皮が残されていたことから、ロンドン市民はそれがユダヤ人の犯行に違いないと誤解しロンドンのゲットーを襲撃したではないか。しかし、ブドウとユダヤ人に何の関係があるのだろうかということをロンドン市民は気にしないのである。イングランド人にしてみれば理由など何でもよいのだ、ユダヤ人が困れば。
 それと、「国王の追い落とし→傀儡→中央銀行」の順は何の順なのだろうか。逆ではないだろうか。まず、中央銀行に侵入して、貨幣供給(通貨改鋳の意味)に関与することで力を蓄え、次に下僚に賄賂するなどしてこれを傀儡として働かせ、徐々に王を裸にするというのであればユダヤ人の国取説も見栄えがよろしいが、最初に王を追い落とせたのであればそれでユダヤ人の天下ではないか。そのあとの作業がいかにも不要だが、なぜ、国王を追い落としたという段階でイスラエルを建国しないのだろう。ユダヤ人の理想は明らかにイスラエルの建国であったはずである。イングランド人のためにシリング銀貨を打刻する公共政策こそが、あの時代のユダヤ人の理想であったとでもおっしゃるか?

投稿者 無礼な質問者 : 2013年1月5日 03:38

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