4 responses

  1. ないとう
    2010年9月4日

    接触し始めた集団同士が、緊張を緩和するために「縄文土器の(相互)贈与」を行ったと考えれば、”凝った”土器を生み出した理由も分かるように思います。

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  2. うらら
    2010年9月4日

    大作、ご苦労さまです。
    わたしが、ひとつ疑問なのが、日本人が本来持つといわれる現実思考と縄文土器に見られる「凝り」が相反するということ。
    日常的道具として縄文土器を捉えた場合、あのクネクネした模様・突起物はジャマ、使い勝手が悪いことこの上ないように思います。
    なので、縄文土器は日常づかいの道具から離れて、飾り物≒贈り物になっていったのかな~、と思うのですが・・。
    さらなる追求、期待しています!

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  3. tano
    2010年9月4日

    ないとうさん、コメントありがとうございます。
    「土器の凝り=贈与物」の説に1票入れます。
    そう考えると・・・土器の様式が複数の集団間に短い間に広がった理由も、相互にオリジナルな様式を模索して競争した理由もわかるように思います。
    実際現代人でも誰かに何かを贈る際にいろんな事を付け加え、できるだけ凝った(贈り手の気持ちを乗せて)モノを選んでいますよね。
    相手に何かを贈る際には根底的に相互の関係構築を目的としており、相手の期待(以上)に応えようとする「おー、すごいな」という感嘆と感動をもらえる事を期待しているように思います。これは何も縄文時代以降の話ではなく、人間が持っている共認機能や共認充足そのものではないかと思います。
    そのような期待ー応望の関係を下敷きにして”凝り”はどんどんエスカレートしていったのでしょう。

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  4. tano
    2010年9月4日

    うららさん、コメントありがとうございます。
    >縄文土器は日常づかいの道具から離れて、飾り物≒贈り物になっていったのかな~、と思うのですが・・。
    おっしゃるとおりです。縄文中期まではその使い分けはあまり明確でなかったようですが、後期から晩期にかけてハレとケという観念が登場し、祭祀文化の定着と共に装飾土器と実際に使っている土器に使い分けて行ったことは確認されています。
    >わたしが、ひとつ疑問なのが、日本人が本来持つといわれる現実思考と縄文土器に見られる「凝り」が相反するということ。
    日本人の現実思考の根幹には自然現象を対象化した精霊信仰があります。その意味では精霊を具現化した土器や土偶は現実思考の源流にあると思います。日本人の現実思考は目に見える現実と目に見えない現実を組み合わせたものなのだと思います。その意味において物質主義に傾斜した西欧文明の現実思考とは性質的にも異なり、ここを掘り下げていく事が本シリーズの中心テーマでもあります。
    さらなる追求、期待しています!
    ~私の出番は今回で終わりですので、しばらくはシリーズと離れて縄文土器を追いかけていきます。

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