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2012年12月31日

◆新春企画~日本人なら誰でも持ってる、可能性♪~

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2011年、日本を襲った東日本大震災。
多くの外国人が、こんな日本人の姿に驚きました。

被災を「現実」として静かに受け止め、パニックになったりしない。
周りの人たちと助け合い、冷静に、秩序正しく行動する。
列に並ぶよう誰が指示しなくても、静かに並び、割り込んだりしない。
泣き叫んだり、取り乱したり、誰かをガーガーと責め立てることもない。

しかしながら一方で私たちを取り巻く外圧は、災害といった自然外圧だけではありません。経済も先行きが見えずガタガタ 、原発やTPP・・・統合階級は暴走をし続けてますます社会は混迷するばかりです
これからの日本ってどうなるんだろう?私たちはどうしていったらいいのだろう?と考えるにも、なにを拠り所とすれば良いか?どこに可能性があるか?が無いと、その思考は始まりません。
当ブログでは本年もさまざまな角度から歴史を追求してまいりましたが、その中で、その拠り所や可能性に繋がるものも見えてきました 😛 !!!
本年最後の締めくくりに、それらの記事を振り返りつつ紹介したいと思います☆
題して 😉 、「日本人なら誰でも持ってる、可能性♪」
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一つ目は黒川伊保子さんの著書『日本語はなぜ美しいのか』からの紹介シリーズの第8弾!
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私たち日本人は当たり前のように、虫の音を歌声のように聞き、木の葉がカサコソいう音に癒しを感じ、サラサラ流れる春の小川に弾むような喜びを感じたりしますよね♪
でもね、子音語を話す人たちには、虫の音などは雑音にしか聞こえないのだそう・・・
その訳は・・・
母音を言語脳(左脳)で聴き取り、身体感覚に結び付けている母音語の担い手(日本人)は、母音と音響波形の似ている自然音もまた言語脳で聴き取ります。つまり私たちの脳にとって、自然は人と同じように”語りかけて”くるものなんです。だから当然、母音の親密感を自然音にも感じる。子音語人は母音を右脳で聞き流してしまうので、自然は彼らにとって語りかけてくるものではないのです
このように自然の声を聞き、敬い、そして同化してきた日本人だからこそ、わずかな不調和にも敏感です。その敏感さ(同化度の高さ)が日本の高い技術力を支えてきたとの説は、非常に納得度が高いものでした。
詳しくは、こちらへ♪   始原の言語・日本語の可能性~(8)~自然と同化する母音語人~
二つ目は「カタカムナ」という古代の文献を中心に追求を重ね、古代人の思考法を明らかにしてきたシリーズのまとめ記事です!%E5%90%8C%E4%B8%80%E8%A6%96.jpg
近代観念(自由、人権、個人や市場第一主義)に導かれてきた社会が、全面的に行き詰まっているとすれば、それはその導いてきた観念が間違っていたということではないでしょうか。
私たち現代人はついつい、物事を捉え、分析し、判断する時、対象それぞれの「何が違うのか」という、異化部分を抽出をしようとしがちです。それが、分類化、比較化、パターン化といった「別化思考」。でも、古代人の思考はまったく正反対だったのです!
それは・・・
古代人は「別化」ではなく「類化」をその思考の根本に据えていました。「類化思考」とは対象の同一部分を注視し、そこに法則を見出す思考のことです。実は私たちが万物の成り立ちや宇宙の真理に迫れるのも、物事を細分化し分析する現代の量子力学とは真逆の、万物の共通点を見出し、そこから普遍的な法則を導き出すこの思考方法があったからこそなのです!
「別化思考」の代表格の近代思想が幅をきかす現代において、この「類化思考」を今も色濃く残しているのが共同体基盤を残してきた日本人です。それは例えば、冒頭の災害時に見られるような自然観や仲間意識や秩序収束にも、現れています。
みんな一緒 、お互い様 、自然に自分たちは生かされている ・・・etc。
そのような感覚(潜在思念)は、仲間への同一視・肯定視と徹底的に対象に同化する姿勢、すなわち共同体基盤から育まれるものだからです。
詳しくは、こちらへ♪   シリーズ「潜在思考の原点・カタカムナ」~日本人の可能性2~
最後にご紹介するのは、
「日本人は何を信じるのか?」をテーマに日本人の宗教観を追求してきたメンバーが最後の最後に気付いちゃった、あること。

それは・・・
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そう、その問い自体に無理がある!ということでした
私たち日本人が受け継ぎ、大切にしてきた精神性の根幹は、「何かを信じる」事ではなく、何に対しても「同化する」「共認する」意識そのものだったからです!!
日本人はよく「無宗教だ」「信仰心が薄い」などと欧米人に言われがちですが、決して「無神論者」というわけではありません。「葬式仏教」が示すことは、キリスト教や仏教、イスラム教といった「創唱宗教」に対して無関心だ、ということに過ぎないのです。
それよりもむしろ、自然の恵みに感謝し、その怒りを畏れ、そしてそれと共に生きてきた祖先や地域の仲間達を想い感謝と喜びを分かちあう精神を持っていること。そして古来より、様々な祭事でもってその感謝の念を皆と共有し、その充足感を活力源として受け継いできていることに、私たちは注目したいです
温暖で豊かな気候風土、なにより島国故に大陸の略奪闘争から隔離されて来た故に、長年にわたって共同体と共認充足の基盤を受け継ぎ培う事が出来た私たち日本人。
日本は地震や津波など災害の多い国ですが、それすらも受け容れて、自然への畏怖と感謝の念を失うことはありませんでした。
自然、仲間、全てを受け容れ、そこに日々の充足を見出してきた私たち日本人。
そこに現実否定の宗教や観念が根付かなかったのも道理なのです。
詳しくは、こちらへ♪   シリーズ「日本人は、なにを信じるのか?」~最終回・「何か」を信じるのではなく「全て」を受け容れてきた日本人~

大きく3つの記事から、導き出されるもの。
自然を受け入れ、相手(仲間)を受け入れ、そして「現実世界」を受け入れてきた日本人。
そして、受け入れること、同化すること、一緒であること自体を共認充足として生きてきた日本人。

このように培われてきた精神性ゆえに、この大変に厳しい時代であっても、私たち日本人は現実を真正面から捉え「みんなのために何をすればよいか?」を考えてゆけます。そしてそうやって探索すれば、必ず答えは見出せるはずです。
来年も、ともに考え、追求し、進んでいきましょう!!

投稿者 mituko : 2012年12月31日 List  

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コメント

日本人の精神性が、決して西洋の文化が劣るものではないことを明らかにして頂いて本当に嬉しいです。

投稿者 あぐり : 2014年10月26日 10:40

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