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井上清氏の縄文史観2~縄文が日本歴史の始まりと言える理由

こんばんわ。管理人のタノです。
昨日の民主圧勝は正直、驚きました。しかし、やはり・・・と感じた部分もあります。
4年前に7割が支持した自民党がわずか4年間で逆になる。
前回はマスコミの誘導があったけど、今回はどうやらそうではないらしい。マスコミは民主圧勝をキャンペーンして揺り戻しを狙う向きもあった。
ここに来て日本人の特色”共同性”がかなり出ているように思います。
それでは前回の投稿に続いて縄文時代を扱っていきます。
今回は前回の続きです。前回の記事を読んでいない方は↓も見てください。
井上清氏の縄文史観~縄文時代って何? [1]
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1963年初版 井上清氏「日本の歴史」から紹介していきます。
縄文時代は、つぎの2点でまさに日本歴史のはじまりといえる。


第一に、この時代に日本人種の原型が成立したと考えられる。
縄文文化にひきつづいて、朝鮮方面から全く新しい高い文化、弥生式土器の文化が入ってきて、それがたちまち支配的になりその際、新しい人種も多少は渡来した。しかし、その人種が縄文時代人をほろぼし、あるいはこれと混血してその人種的特徴を消失させたのではなく、反対に新来人種が縄文時代人に吸収されたというのが、人類学者の通説である。そうだとすれば、縄文時代の人々が現在にいたるまでの日本人の基幹になったといわねばならない。
それでは縄文時代人はは旧石器時代人と、人類的に連続しているのであろうか。それとも旧石器時代人は何らかの事情でほろび去って、そのあとに縄文文化をもった人種が来て、日本列島の主人になったのであろうか。あるいは旧石器人と新来人とが共存し混血して新しい人種になったのであろうか。
考古学者も人類学者も、まだ何の結論も出してはいない。しかし、新旧両石器文化の連続を思わせるような、考古学的資料の発見が、しだいに多くなりつつある。文化の連続はただちに人種の連続を意味するとはかぎらないが、もし両文化の連続が確認されるなら、その連続発展した文化を創造した人種も同一であったという可能性は大きい。
旧石器時代人と縄文時代人とが基本的に同一人種であったとしても、あるいは別々の人種であったとしても、いずれにしても縄文時代人は、日本列島が大陸からきりはなされてからは、日本列島の自然の諸条件に適応し、独自の人種的および文化的特徴をうみだした。
彼らの遠い祖先が、大陸方面か東南アジアか、そのいずれに住んでいたか断定はできないが、数千年から一万年も違った自然的および文化的条件のもとで生活しているうちに、縄文時代人はその遠い祖先のなかまとは違った人種になり、現代日本人の原型となった、と考えられる。
第二に、日本語の核心が縄文時代に成立していたと考えられる
言語年代学によれば、いまの日本の本州等の言語と沖縄の言語とは、共通の祖語から、紀元前後に分かれて、それぞれ独自の発達をしたものと推定される。
そうだとすれば、両語に共通の核心部をもった日本祖語は縄文時代に存在していたとせねばならない。その日本祖語が、いかなる言語の系統に属するかについては、種種の仮説があるが、まだ定説は出ていない。
日本周辺の諸民族語で、日本語と親族関係を見出す事のできる可能性が多いのは、朝鮮語のみである。そこで、もし日・朝両語が親族であると仮定して、両語がその共通の祖語から分かれた時期を、言語年代学で推定すれば、それはいまから少なくとも3千5百年ないし、5千年以上も前、すなわち縄文中期以前であるという。
こうして縄文時代には、現在の日本人の固有の生活領域である日本列島が形成されており、そこにまわりの諸種族とは違った独自の一人種とその言語、すなわち日本人と日本語の原型が成長し、その人々が未開を突き抜け、文明への道をきりひらいていった
まさに日本人の歴史がはじまったのである。
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以上が井上清氏からの引用です。
内容はもちろんの事、文章が簡潔でかっこいい。まずはそこに惹かれました。
さらに縄文時代が日本人の本源であるという根拠は言語と大陸から切り離された地理的環境、さらには植生や文化を共有した自然環境という同一性がもたらしていると言えるのです。
これは3回ほど前になんで屋劇場で展開された「日本人の民族性はDNAでは決まらない。」「その歴史と環境にある」という提起と重なります。
「みんな一緒」という共同性の感覚の入り口はここにあるように思います。
なぜ弥生時代に農業をスムーズに取り入れ、奈良時代には仏教を取り入れ、平安時代には漢字をカナに変えていくことが可能であったのか?全てはその下地となる日本民族という共同性をすでに縄文時代に日本祖語という世界で実現していたからではないでしょうか?
その意味ですでに超集団を統合する原理を私権ではない別のもので模索していた民族であると言えるかもしれません。日本人の可能性を縄文から・・・さらに追求していきたいと思います。

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