2011年2月19日

2011年02月19日

遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より

るいネットからの秀作投稿を紹介します。
今回は、「遺伝子学から見た人類拡散の多様性」についてです。DNA分析には、ミトコンドリアDNA(以下mtDNA)とY染色体から分析する2つがあるようです。
科学の力で分析にするにも、その中身(事実の高さ)が問われます。この2つの考え方を以下のるいネットの彗星さんの投稿「なぜ、Y-DNAでないと民族系統分析ができないのか?」をお借りしてまとめます。一読して下さい。現在はY染色体分析が主流になります。 🙄
その後に、その分析から分かった内容を「遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より」をお借りしてお話したいと思います。
日本は世界でも珍しいY染色体亜型分布を持っているようですよ!?

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●Y染色体の世界分布 からお借りしました
では、「遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より」より引用します。
 
近年、人類史の拡散経路を明らかにする上で崎谷氏のY染色体による分類が注目を浴びている。また、崎谷氏の論説によると日本は世界的にも極めて珍しい多様な人種が集まっており、日本人を見ることでアフリカから出て今日まで至る人類の分化の経路が見えてくる言及している。以下、崎谷氏の著書「DNAでたどる日本人10万年の旅」の中から、いくつかの投稿に分けて紹介していきます。
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■出アフリカ三大グループが共存する日本列島の多様性の高さ
DNA多型分析を人類学に応用する事は、まずミトコンドリアDNA研究者の手で始められた。しかし、その後、長期にわかるタイムスパンの追跡にはY染色体分析が適している事がわかり、10年ほど前から多くの研究者が急速な進歩を示して、今では世界的な人類の移動の歴史がほぼ再現できるところにまでなった。
なお、ミトコンドリアDNAは母方だけの遺伝様式を、またY染色体は父方からの遺伝様式を追跡する事になるので、これらはちょうど補い合う事になる。しかし、ここでは詳細なことには立ち入る事ができないので、Y染色体によるDNA多型分析を中心に話を進める事にする。
Y染色体は大きく分けてAからRまでの18の系統に分けられる。
大別すると
・A系統(アフリカに固有)
・B系統(アフリカに固有)
・C系統(出アフリカの第一グループ)
・D,E系統(出アフリカの第二グループ)
・F~Rまでの系統(出アフリカの第三グループ)
の5つのグループに分かれる。
現生人類の発祥の地アフリカに留まったA,B系統を除くと、アフリカから出ていったグループは3つの系統、つまりC系統、D系統、E~R系統に分かれる。この出アフリカ三大グループの末裔が全世界に広がっていった結果、現在の全世界的なヒト集団の分布に繋がっている。
Y染色体亜型の分布は世界各地で大きな地域的差異を生んでいる。たとえばパプアニューギニアには地域特性としてM系統やC系統が見られる。またアメリカ大陸の先住民にはQ系統が広く分布し、C系統と合わて地域特異的な亜型分布を示している。アメリカ大陸へ移住したQ系統とC系統はシベリアを経て移動したことが推定されており、シベリアには特にC系統(いわゆるアルタイ系言語集団)の高い集積がみられる。なお、シベリア北部から北ヨーロッパにかけてN系統(ウラル系言語集団)の特異的分布が見られる。ヨーロッパではR系統が高い頻度で見られ、ヨーロッパ系言語が流入する以前の先住系ヒト集団を示すようである。なお、地中海世界の南ヨーロッパ、北アフリカ、中東にはE系統の集積が見られる。
このE系統と近縁のD系統が世界的にも稀な例として日本列島とチベットに今でも高い率でみられる。
 日本列島におけるY染色体亜型分布の特徴は高いD系統の分布だけに限らず、この出アフリカの3系統のいずれにも由来するグループ、つまりC系統、D系統、およびN系統、O系統が今でも共存していることが全世界的に見て非常に珍しい状況を生んでいる。ヨーロッパは非常にDNA多様性が高い地域ではあるが、出アフリカの二系統しかみられない。パプアニューギニア、アメリカ先住民、シベリア、インド、中国その他ほとんどの地域が出アフリカの二系統までしか見出せないのに対して、ここ日本列島では出アフリカの三系統の末裔が今でも認められる。これは歴史上の不思議である。
 なぜ、日本列島には遠く隔たったヒト集団が歴史的に消滅せずに今でも存続してきたのか、あるいは存続することができたのかは、非常に興味をひく現象である。それがどのような意味をもつのか、それを考えるのが本書の課題である。
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著者が指摘しているD系統は世界的には極めて少数の頻度でしか出現せず、チベット、日本にしか見られないという特徴を示しており、このD系統が縄文時代に日本に渡来している。D系統の経路は出アフリカをした後、13000年前(新石器時代への移行期)にE系統から分岐しユーラシア大陸南方を東に移動してインドー東南アジアー中国南部を経由してモンゴル高原で西と東に分かれる。モンゴルにもD系統が発見されているが、多くはD1,D3がチベットに、D2が日本列島に見られる。大陸から日本への渡来経路は中国華北から朝鮮半島を経由して北九州に入ったと推定されている。
この続きは、「日本列島ではなぜ多様な人種が存続したのか」になります。
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投稿者 sakashun : 2011年02月19日  



 
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