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◆日本人の起源(6)~日本語の起源から日本人を考える~

日本人の起源シリーズもはやくも6回目を迎えました。
先回は気候変動と生産様式の変化に着目し、縄文時代の採取生産からどのように農耕に移行したのか?を見てきました。
そこでの気づきは、稲作の到来は2段階あり、初めは朝鮮経由ではなく、長江からやってきたということです。
縄文・弥生時代もより細分化してみていくと発見の連続です。
さて今回は日本語の起源から日本人を考えてみたいとおもいます。
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人類史を遡れば、言語の使用はおよそ20万年前、火の使用の時期まで遡ることができます。
言語の使用は脳容量を拡大させ、観念能力を向上させたと考えられます。人類はそれ以降石器や弓矢を発明し、およそ9,000年前には農耕・牧畜をはじめています。
人類誕生500万年前からのスパンでみれば、この20万年の進化のスピードは相当著しいものだといえます。
ところでこの言語の記録を遡ることは、文字の記録を遡ることと近い位相にありそうですが、文字が使われ始めたのは、言語の使用から下ること、19.5万年、いまから5,000年前となります。
人類史的にみればつい最近?で、文字の歴史と都市国家の成立(=身分制度の確立)と同時代です。
このように人類は過半の時代を「無文字」の中で暮らしていました。 😮
日本に限ってみれば、約2,000年前の弥生時代中頃に外交の必要性から中国の文字-漢字を受け入れたといわれていますが、それまでは「文字なし」で十分暮らしていけたわけです。(この点は4大文明が起こった地域とはまったく異なります)
このように文字をもたなかった縄文時代(弥生前期)は、どのような言葉を話していたのか?、そのルーツはどこにあるのか?、縄文言語の特徴はどんなところにあるのか?を探ることが今回のテーマです。
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■日本語(言語)の起源

これまで日本語はいろいろな言葉と比べられてきたが、日本列島周辺の言葉のうち、となりの中国語、韓語・朝鮮語、日本国内のアイヌ語などは日本語とまったく系統的関係がないことが明らかになっている。逆にいえば、これらの言葉はそれぞれが独自の長い歴史を持っていることを意味する。
 そして比較研究の結果、現在、日本列島をはさんで北と南に大きく広がるツングース諸語とオーストロネシア諸語が日本語を産みだした最有力候補で、縄文時代中期以降、これらの言葉が日本列島でたがいに接触し、その後、混合することによって現在の日本語の母体を形成したことが分かってきた。
 このようにして、日本語の中の単語の多くはオーストロネシア語に、助詞や助動詞という文法要素は大部分をツングース語に負っていることになるが、奈良時代までまだ盛んに用いられていた接頭語はオーストロネシア語の要素を受け継いでいる。

南方か北方かを言葉からみる [3]
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日本語の起源は 諸説様々 [4] あるようですが、 おおむね妥当と言われているのが、上記にあげた 「混合言語説」 です。
さてこの「混合言語」とは概ね塗り重ねによってつくられた言葉と推測できます。
縄文語の復元(じょうもんごのふくげん)という HP [5] には、各単語が(山・川・雷など・・)ツングース語由来なのかオーストロネシア由来なのか?を分類してまとめています。
これを見ていくと、
オーストロネシア由来
海・空・星・雷・土器・家・木

ツングース語由来
雪・胸・・

などがあり、単語の語源はオーストロネシア由来が多くをしめます。
一方「組合せ会話」のような文法は、ツングース語由来と推測されています。
ここから推測されることは、概ね1万年前にシベリア経由で渡来した古モンゴロイド(北方 [6]) の先住民が日本語の文法要素の基礎を作り始め(ツングース語由来)、その後3,500年前の第一波 南方渡来人 [7](長江人・ミャオ族など?) が海や農耕に関する言語を持ち込んだと考えられ、それが「融合」して独自の「混合言語」を生み出したと考えられます。
ツングース語は現在の満州からロシア極東地域に伝わる言葉で、現在の中国語とは断絶しています。
また歴史的には、高句麗・百済がツングース族と言われてますので、弥生時代後期に第2派として渡来し、古墳時代の基礎をつくった(いわゆる)弥生人がほぼ違和感無く、これまで使われていた縄文語を使用したことも納得ができます。

筆者は、古日本語(日本基語)は、かなり早い時代に完成していたと考える。少なくとも、完成し尽くされた言語といわれる、サンスクリット語の成立時期、3000年前には、すなわち新年代観でいっても、水田稲作農耕技術の到来以前に、日本基語は混合言語として既に成立していたと考える。
なぜなら、1万年以上に及ぶ縄文文化が崩壊し、全く新しい、農耕技術や社会制度をもたらした弥生渡来人の故郷が、上代日本語から全く推測できないという、異常としか言いようのない現象は、日本基語がよほど完成され、語彙も当時としてはそれほど借用しなくても済むほどに十分であったから、渡来人の言語を農耕技術関連語として以外必要としなかった、という理由しか説明が付かない。
しかも、農耕技術関連語をセットとして持ち込んだ、渡来人の出自集団(おそらく長江下流域の民族集団)は、現在においては既に消滅してしまったらしい。
弥生時代、水田稲作農耕技術をもたらした渡来人は、予想以上に高度な日本基語を習得し、いわばその北部九州方言「倭人語」をもって勢力を拡大し、西日本一帯に遠賀川式文化圏を確立する。これにより倭人語は「日本祖語」といえる標準的存在となった。    
中部・関東地域でも農耕文化を受け入れた集団は、日本祖語を受け入れる。一方、旧東日本地区で、あくまで狩猟採集文化に拘った集団は、東北地方に後退し、独自の文化・東日本縄文文化を継承していく。

日本語は「混合言語」だ! [8]
この記述によれば、日本基語(縄文語=ツングース+オーストロネシアの混合言語)→倭人語→日本祖語のように形成されたとしています。
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ここで着目したいのは、日本祖語は、縄文語を習得した渡来人が確立したという点です。
原住民と渡来人の人数バランスの問題もあるとおもいますが、後の統合階級となる渡来人も、言語は先住民(縄文人)のものを受け継いだという点です。
縄文語の完成度の高さも要因ではありそうですが、この時代において、基本は「融合路線」で言語がつくられていることは少し驚きです。

ところで日本語の「言葉」が上記の歴史で形成されたのに対して、日本語の「文字」 はもう少し様相が異なります。
日本語文字の特徴は、漢字・かなの併記、音読み・訓読みの使い分けになりますが、この点について少し補足します。
■日本語(文字)の起源

日本に文字が伝わったとされる2,300年前(日本は縄文時代・中国は秦の時代)、両者の文明の差異は圧倒的であり、中国にあって日本になかったものは、それこそ数え切れなかっただろう。中国から伝来した膨大な数の漢字、いや『論語』とともに日本列島に最初に伝来したとされる『千字文』という書物に掲載された僅か千字の漢字の中にも、当時の列島人のほとんどが目にしたこともないような文物、制度、思想、概念がひしめいていたことであろう。
 実際、文字が中国から伝わったものである以上、「(字を)書く」と言った事象自体、従来の列島には存在しなかったことは自明である。従来、「(痒いところを)掻く」とか「(茶碗を)欠く」、せいぜい「(絵を)描く」と言った意味しか持たなかった「かく」という「和語」に対して、それを「書」という漢字の訓読みに当てることによって、従来、その語になかった意味が付与されたのであり、このようなことは多くの「漢語」と「和語」の対応関係に当てはまるもと考えるのである
「教科書に掲載された国文学者・古橋信孝の「知る」という「和語」についての随筆を授業で取り上げたことであるが、その中で、古橋は古語の「知る」は「領有する、支配する」の意であることは、「古典の一般認識になっている」と述べた上で、和語の「シル」がそのような意味を持つようになったのは、大和朝廷による列島支配が成立して後の段階においてであり、それ以前は「生まれる」とか「生まれたままの真っ白な状態」を意味していたと主張する。
「シル」という和語の原義についての古橋の所説については、よく筆者の判断できるところではないが、実際、「領有」とか「支配」という実態どころか、萌芽さえない段階においては、当然そのような意味の言葉は成立するはずはないのであり、その意味においては、たとえ同じ「シル」という語が存在したとしても、それは「領有」とか「支配」とかいう意味を持たない。列島主要部において、「支配・領有」という実態が芽生えて初めて「支配・領有」を意味する言葉も成立しうるのであり、その意味では、古橋の指摘は傾聴に値するものと筆者は考える。」

訓読みとはどういうものか [9]
このように言葉と文字にはその意味する情報量は格段に違います。「シル」という言葉も文字(漢字)にすると様々な意味を持たせることができます。
これは観念で社会を統合する必要性度合いとも大きく関連しそうです。
全世界史的に見ても、日本に「文字」が定着したのは極めて遅いことが特徴です。これは裏を返せば共同体体質が色濃く残った要因ともなっています。

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