2020年6月18日
2020年06月18日
核家族が教育を担えないのはなぜか?これほどまでに無効な学校を延命させ、子供たちを無能にし続ける真犯人は誰か?
コロナ離婚、コロナ鬱などコロナを起点に社会問題が表面化しているが、既に30年以上前から核家族の問題が社会に広がり閉塞させている。
その延長に子育て、教育の問題がありこれほどまでに酷くなった学校教育の根本にこの核家族の問題が隠れている。つまり核家族化し、家庭が消費生殖のみの場となり生産場面が一切失われた。結果、家庭は教育機能を失い、学校教育に子どもの育成、教育を押し付け(=外注化)母親は子供に勉強を強いるだけの教育ママに化していく。 この現在の教育の問題と核家族化した家庭の問題、その中で消費だけの専業主婦が教育ママに化身する実態。この核家族の母親の存在こそが子供の活力を吸い取り、勉強付けで暗記脳と思考停止を招いた役に立たない大人たちを再生産する中核存在である。悲劇的なのは母親本人は全くその事に気が付いていない事である。
核家族の問題、専業主婦の問題を切開しない限り、教育問題は解決しない。
かつては家庭に生産があり、祖父母を初めとする高齢者や地域の子育て経験者が実質の教育を担ってきた。子供は集団の中で初めて育つ、そういう環境が江戸時代からつい最近の明治時代まで日本の教育を支えてきた。教育とは社会で役に立つ全うな人格、人を育てる事である。それが代々継承され、再生産されてきた。
今日は2つのサイトの記事から「かつての教育」を紹介したいと思います。
この記事を読んでもわかるように家庭の教育不在の問題とは生産の問題なのです。つまり家庭や地域に生産が根差しているかどうかが子育てや教育を行う上で決定的に重要であり、それがない消費を中心とした現代の過程とは教育、生産という面では全く社会的に役割が担えない、そこが本質であり問題の照準です。 (さらに…)
投稿者 tanog : 2020年06月18日 Tweet