縄文晩期とはどのような時代か?1~寒冷化の危機が渡来文化への融和を促進 |
メイン
2011年07月22日
中国とは何者か?-ヨーロッパとイスラムと中国-
「中国とは何者か」シリーズのまとめの一環として、ヨーロッパ、イスラム、中国を対比しつつ、各地域の観念収束のありように焦点を当て、それぞれの民族的特質を明らかにしていきたい。
分析軸として、各地域の置かれた環境(外圧)、支配民族の出自、収束した思想(観念)、社会制度の特質という項目で整理していきます。
写真はそれぞれこちらとこちらと こちらからお借りしました。 |
ヨーロッパ。
ヨーロッパ、とりわけギリシャローマ文明を生み出した地中海地域の特徴は、平地が少なく土壌が貧弱で、農業生産力に乏しいことである。農業生産力が貧弱という点でも、地政学的にもヨーロッパはユーラシア大陸の僻地の位置にある。
またヨーロッパにおける古代国家成立の特徴は、イラン高原に始まる略奪闘争の玉突き的伝播によって、部族共同体が解体され、逃げ延びたものたちがあちこちから集結し、盗賊集団(山賊や海賊)を形成し、彼らが略奪闘争の覇者になっていったという点にある。彼らは部族or氏族を解体されてしまった者たちであり、各人の出自はバラバラで、利益獲得という一点の目的の下に集まった人口集団である。かつヨーロッパの被支配部族もこの略奪闘争によって殆ど部族共同体を解体されてしまっている。「なんでや劇場レポート」
いつも応援ありがとうございます。
それまで人類集団は500万年もの間、共認原理、つまり規範共認によって統合されてきた。では、略奪闘争によって共同体・規範を失った西洋人は何を共認して生きてきたのだろうか?利益第一の共認はもちろんだが、その目的共認だけでは集団は統合できない。何らかの規範や制度が必要になるが、それら全てを頭の中で人工的な架空観念という形でゼロから捻り出すしかない。
例えば、利益の山分けを求めて、逃亡奴隷や滅亡部族の生き残りが集まる。彼らを統合するには「戦利品は平等に分配する」という約束事=契約が不可欠である。そして、それまでは交易部族でも財は部族の共有であったが、平等分配契約によって個人所有に変わる。これが現代に繋がる西洋人の平等観念の原点であり、市民=支配部族によるギリシアの民主制もこのようなギャング集団を統合するための組織論を原点としたものに他ならない。そもそも彼らが民主制を主張したのも、集団や国家よりも私益第一という体質のためである。
他方共同体を破壊された被支配部族たちは、全てを奪われ奴隷と化す。
現実の可能性を剥奪され、奴隷たちは、人工集団との契約と利益分配の平等に代わって「神との契約」に基づく「神の前の平等」という(キリスト教)の架空観念に収束してい。
このギリシャ民主制とキリスト教という一見まったく異なる観念群だが、同根のものである。
そしてこの架空観念はバラバラの個人に解体された市場社会においても「契約の自由」と「(利益の)平等」という私的権益=邪心を全面肯定した近代思想の母体ともなっていることに注目する必要があろう。
またこの架空観念に収束した、西洋人たちはギリシャ時代においては、ソフィストといった詭弁術に象徴される知識階級を生み出す。そして、ローマ時代以降は教会と神官階級が王権(武力階級)と並立し、時にはそれを上回る権力を持つようになる。
イスラム
イスラムを構成するのはアラビア砂漠に逃げ込んだ遊牧部族である。アラビア半島の大部分は砂漠という極限環境であったがために、ヨーロッパと異なり、メソポタミアやアラビア半島南部の一部を例外として掠奪闘争にさらされず、遊牧部族の共同体集団が残存した。
この地域を最初に広範囲に制覇したのは中央アジア出身のペルシャ人であり、このペルシャ帝国を支えたのはゾロアスター教である。ゾロアスター教は、アフラ・マズダーを至高の神としているが、その元に多くの神(各部族の守護神)をそれに準ずる存在と位置づけている多神教である。またゾロアスター教は生け贄や儀礼よりも日常生活においてどのような行動をとるかが大事であると説く。
その後6世紀頃シルクロード、草原の道、海の道等の交易路が確立していく中でアラビア半島の遊牧集団たちは、急激に市場の拡大圧力にさらされることになった=市場経済が中心的な食い扶持となった。
そのよう中でマホメットが登場し、イスラム帝国を築く。その統合の中心を担ったのがイスラム教である。
イスラム教はキリスト教徒同じ一神教ではあるが、大きな違いはイスラム教が徹底して日常生活の規範を説いている点にある。
アラビア半島は、半島で砂漠によって文明の中心から隔離されていたこともあって、古来からの部族集団が残っていた。その部族集団の規範を生かしつつ広域統合の必要性から、それまでの守護神信仰やゾロアスター教に代わって部族の枠を超えた一神教を取り入れた。
市場圧力は共同体を破壊する。つまり市場原理VS共認原理は決定的に対立する。そこで共同体原理に立脚して宗教集団の強力な規範で以って、市場原理の弊害を封鎖したのが、マホメットが創始したイスラム教である。だから、イスラム教では利息の禁止や喜捨が規定されている他、日常の生活規範までがコーランによって細かく定められているのである。
中国
中国の特徴はヨーロッパやアラブ世界と比べると南方を中心に遥かに農業生産力が高く豊かなことにある。そして、中国は北方の遊牧部族と南方を中心とした農耕部族のせめぎ合いによって生まれた。
もともと遊牧民は交易民族でもある。6000年前頃までは遊牧民はオアシス農耕民に対して交易(時には略奪)を行ってきた。
中国における遊牧部族が由来する、モンゴル高原からカスピ海までを繋ぐ草原の道は、気候変動の影響を受けやすい地域でもある。そのため、寒冷化・乾燥化が進んで草原の道の生産力が下がると、イラン高原に始まる略奪闘争の玉突きの影響もあいまって、草原の遊牧民はモンゴル高原から黄河流域に南下し、農耕民を征服・支配するという最も効果的な収奪方法を取ることになる。こうして黄河流域に誕生した国家が、夏→殷→周であった。
しかし、ヨーロッパと異なり、戦闘力は強大であるとはいえ、少数の遊牧民族が多数の農耕民の中に侵略するという構図のため、多くの農耕共同体は解体されることはなく、服属という形をとることになった。そのようにして中国においては宋族という父系氏族集団が幅広く温存された。宋族は「宗法」と呼ばれる「礼」を中心とした道徳規範によって統合される(ちなみに儒教はこの宗族の規範を土台としてそれを体系化したものである)。
他方中国は一旦帝国が成立し、統合がなされても周辺遊牧民族の侵入によって、王朝が弱体化し、再び全国的戦乱を繰り返すという歴史の連続でもあった。 600年間に及ぶ春秋戦国時代、500年間に及ぶ五胡十六国時代→南北朝時代 などその例は枚挙に暇がない
これらの相次ぐ戦乱によって、多くの人々が土地から離れ「移民」として存在することになる。ここから、血縁集団を超えた新たな繋がりが作られ始める。利益の最大化を共通課題とするこれらの集団は、後に幇(バン)と呼ばれるようになるり、これらの集団が母体になって、人工的商人集団である華僑が生まれていくことになる。
しかし盗賊集団由来のヨーロッパとの違いは、この商人集団は宋族由来の「義」「礼」等の集団内の秩序形成を重んじた、比較的本源性規範観念によって統合されている点にある。他方彼らは、集団の私益が第一である。これが同族集団(身内)には寛容で、外部に対しては何でもあり』という甚だしい二重性という中国人の持つ気質を生み出す基盤となっている。
他方中国社会における統合観念に目を転じよう。当初周時代くらいまでは、国家は、占いや儀礼等によって統合されていた。その後統合観念として、支配民族が入れ替わるたびに儒教、道教、仏教などが国教とされていた時期が夫々に一時的に存在はする。しかし、中国においてはヨーロッパにおけるキリスト教やアラブにけるイスラム教のように時代貫通的な宗教は存在しない。神官階級の力も弱い。その意味では宗教観念は副次的な位置にしかない。
むしろ中国に時代貫通的に特徴的な点は「法家」由来の力の現実主義に基づく、厳罰主義に象徴される法治主義と官僚制度の発達にあり、これが中国の国家統合の要をなしている点である。
この違いは、おそらく少数の遊牧由来の支配部族と多数の農耕民という中国史を貫く構図にある。この構造により、中国は多数の農耕民を服属させることはできても奴隷化することはできず、戦乱によって人々が私権収束した後も彼らの私有権を認めざるを得なかった。従って、力による序列統合下にあるとはいえ、多くの大衆の私権の現実に対する可能性が完全に封印された訳ではなく私権獲得の可能性は僅かながらも開かれ続けていた。従って
「平等」などの架空観念や「あの世」等の非現実の世界に収束する必要がなかった、と言うことではなかろうか?
まとめ
以上ヨーロッパ、イスラム、中国を通じて観念収束のありようの違い(架空観念への収束度の違い)を外圧状況と、共同体的集団(氏族集団)の残存度の違いと言う観点から整理してきた。
また上記を俯瞰すれば、本質的に個人の私益(邪心)を全面的に肯定しているのがヨーロッパ、生活規範によって相当に制御しているのはイスラム、父系氏族集団由来の集団規範によって(少なくとも集団内においては)ある程度制御しているのが中国と言うことになる。そして、そのことが西欧(やアメリカ)が私益を全面肯定した市場時代を制覇した単純な根拠である可能性が高いこともということも見えてくる。
現在市場は拡大を停止し、私益追求の可能性は閉鎖しつつある。今後も西欧は覇者たり続けるのか?中国はどうなるのか?これらの問題について、今後残された主要国である、インド、そして我々日本人について引き続いて同様の分析を行う中で再度分析してみたい。
投稿者 kitamura : 2011年07月22日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/07/1294.html/trackback
コメント
投稿者 noga : 2012年3月26日 14:07
問題の解決には、意思が必要である。(Where there’s a will, there’s a way).
社会問題の解決には、政治指導者の意思決定が必要である。
そこで政治指導者を選出することになるが、意思のない社会においては、個人選びは個人の意思選びにつながるはずもない。
選挙は、いわゆる地盤 (組織)・看板 (名声)・カバン (資金) による選択になり、その結果は意思を離れた家畜の品評会のようなものになる。政治音痴の原因となっている。
日本人には、意思選びができない。何回選挙をしても意思決定には手間がかかる。
党員も個人の意思そのものを認めていないのだから、民主主義も形骸化している。党内野党もできて混沌となる。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/