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2011年03月24日

戦争の起源・見直し~戦争の直接の原因は、6500年前の交易化にある!

2月12日の記事で、 戦争の起源として、「人類史上初の戦争は、5500年前、イラン高原で勃発した!」と提起しましたが、3月13日のなんでや劇場で、あらたな認識が塗り重ねられましたので、紹介します。
この議論の問題意識の背景にあるのは、 「白人の意識構造の解明を図る」ということです。そのために、彼らの生産様式の流れを、改めて狩猟→牧畜→遊牧→交易→略奪と措定し、各段階での意識の変化をたどっています。
以下、3/13なんでや劇場(1) 牧畜によって何が変わったのか?より

牧畜が登場することによって、何が変わったか?①これは栽培も同じだが、牧畜によってはじめて、常時蓄積された財が登場する。それ以前も例えば、洞窟に動物の死骸の骨を溜めることはあったはずだが、そこでは財という意識はなく、収穫物の蓄積財が登場してはじめて財産意識が登場したであろう。
②もっと大きな転換は、動物を飼い馴らすという自然の摂理に反する行為が登場したことである。
それまでは自然(動物)は畏敬の対象であり、生命をいただく代わりに感謝の念を捧げていたわけだが、その自然を人間が飼い馴らすというパラダイム転換が起きた。

以下、3/13なんでや劇場(2) 遊牧によって何が変わったのか?より

遊牧になって何が変わったか?
①母集団と遊牧男集団という重層社会に変わる。
②婚姻制が母系婿入り婚→父系嫁入り婚に転換し、同時に母権集団→父権集団に転換した。
③人類500万年間、女たちは女集団の中で生きてきた。母系の段階では女たちの生まれ育ちはみんな一緒であったが、父系になるとそれぞれの集団の女たちの出自はバラバラなものになる。女たちの共認充足空間の中に隙間風が吹くようになり、とりわけ、嫁取り交渉では集団の財が多い方が交渉が有利に運ぶので、各氏族の蓄財意識が高まってゆく。こうして出自の違う女同士の間で私益の対立が発生しはじめる。これが相対自我の芽生えであり、遊牧→父権転換(嫁取り婚)から自我が発生したと考えられる。

以上のような意識変遷の後、交易集団になると何が変ったか?に分け入っていきます。
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以下、3/13なんでや劇場(3) 交易によって何が変わったのか?より

交易集団になると、何が変わったのか?
洋の東西を問わず、遊牧集団のほとんどは交易集団でもある。
なぜ、遊牧集団が交易を始めたのか?
前提条件として、交易の対象品目は乳製品や毛織物など加工品であり、それは母集団の女たちが作っていたものである。つまり、母集団がまだ残存している時代から交易が行われていた。また、交易が成立するにはお客が恒常的に存在している必要があり、遊牧部族のお客である農耕部族が周辺に存在していたはずである。
遊牧集団が交易を始めたのも、人口増によって遊牧だけでは食えなくなったからであるが、それ以前に周辺の農耕部族の人口増によって至る所に農耕集落が生まれ、定常的な交易が可能になったことが前提条件としてある。
西方のイラン高原~カザフ草原で交易が始まり、遊牧兼交易が常態化すると、中央アジアの草原の帯を伝ってトルコ族→モンゴル族→ツングース族へと遊牧兼交易がたちまち伝播していった。こうして6000年前には中央アジアの草原の帯全体で遊牧兼交易が当たり前になった。そう考えると、アジアの東の中国でも殷を建てた部族が「商(商人の意)」と自称していたことも説明がつく。
遊牧部族が交易に転じると何が変わるのか?
交易に転じると、損得・利益という意識が登場する。元々食えないから交易を始めたわけだから、そこには部族の命運がかかっている。こうして部族全体が利益収束し、利益拡大(蓄積)が部族の統合軸となってゆく。これを唯利収束(唯利統合)と呼ぶことにする。
また交易は損得のやり取りであり、利益第一に染まっていることも相まって、著しく他者に対する攻撃性を磨いてゆく=高めてゆく。こうして唯利収束と攻撃性故に、他部族を騙してもよいということになり、騙しと交渉術に長けてゆくようになる。
それだけではない。遊牧兼交易部族は貴重な財を運ぶ。利益第一となった彼らにとっては財が獲られないかが一番の心配事となり、利益第一が故に警戒心を膨らませた彼らが武装するのは必然であった。
彼らは、元々は遊牧集団で、それだけでは食えないので遊牧集団兼交易集団兼武装集団という三位一体の集団と化したわけだが、武装集団化したことによって力の原理が全面に出てくることになり、その結果として、父権転換が加速される。遊牧男集団の「女よこせ要求」から父権転換した段階では、母権VS父権の綱引きがあったはずだが、遊牧集団が交易を始めた段階では一気に父権に転換したであろう。
実現論(戦争の起源説)の塗り替え
「戦争の起源は遊牧発」というのが従来の説だが、戦争の直接の起源は交易に転換したことにあるのが正しい。
交易が始まり集団の統合軸が利益第一となり、それに武装が加わる。これは富族強兵共認に他ならない。つまり略奪闘争の前に既に遊牧兼交易部族は富族強兵共認で統合されている。
また、遊牧→父系転換の段階で自我は芽生えているが、交易集団の自我の強さはその比ではない。利益第一や富族強兵の共認が集団の統合軸となったことによって、成員の意識は強く自我収束していくことになる。
ここまで来ると、いつ略奪闘争(戦争)が始まってもおかしくない状態となる。そこで乾燥化→食糧危機という契機が生じれば、簡単に戦争が始まったであろう。

今回の見直しで、戦争の起源は、時代的にさらに遡ることになりました。
前回は、「5500年前」と推定しましたが、交易に注目すると、さらに遡るのではないか。6000年前にイラン高原で交易専業のエラム文明が登場したことを考えると、交易が始まったのは6500年前ごろではないか?と推定されています(この時期は正確に押さえる必要あり)。
>戦争の直接の起源は交易に転換したことにある。
この認識は、比較的身近に見聞できる近代の戦争からも実感できることであり、その動機は(あれこれ大義名分を並べても)、煎じづめれば利益(財)獲得競争にある、というのはほぼ間違いないように思います。
うらら

投稿者 urara : 2011年03月24日 List  

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コメント

つい最近中国の新幹線の事件で、その国の対応に誰もが驚いた事と思います。事故隠しの為に列車を埋め、世論が沸き起こると翌日には引きずり出す。挙句の果ては、埋めていないと言い切る。
これは私だけが思っている事かもしれませんが、中国のえげつなさ(=私権性の強さ)はどこから来るのか、という部分の答えがまだ繋がりません。市場なのか?官僚制なのか?集団の特性なのか?戦争の歴史なのか?
>父系氏族集団由来の集団規範によって(少なくとも集団内においては)ある程度制御しているのが中国・・・
私はこの集団というものが曲者だと思っています。
中国における集団とは、少数民族の田舎の集団を除けば、都市民はバラバラであり、集団と呼ぶより家族でありあるいは血縁もないバンのような人工集団に他なりません。
日本よりずっと早くから本源集団がバラバラに解体されてた、その解体度合いがほとんどヨーロッパ並であったというところが中国を西洋同等或いは西洋以上に私権性の強い国家に導いた要因ではないかと思います。
なぜならば、これほどまで国内で戦争につぐ戦争が相次いだ国はたぶん西洋でも少ないように思います。戦争の度に集団が解体され、さらに移住という形で戦争後も解体を進めていった。
官僚化や中央集権という国の戦略とは地方の解体であり、集団の解体だったのだと思います。
その辺の中国の問題点、西洋以上の異常性にもメスを入れておきたいですね。

投稿者 tano : 2011年8月3日 23:52

たいへん、よく解りました。
今まで捉えていた、西欧、イスラム、中国の在り様が、最後のまとめで全てつながりました。
ありがとうございます。

投稿者 喃喃 : 2011年10月14日 20:51

横レス失礼します。西欧、イスラム(西アジア)、中国の比較は歴史の本質的なところを追求する感覚があり非常に面白いですね。過去の投稿でこちらもお勧めです。お時間あればぜひ読んでみて下さい。
シリーズ『イスラムを探る』 第8回 イスラム教とユダヤ教、キリスト教を分けたもの
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2010/07/001090.html

投稿者 fwz2 : 2011年10月17日 18:39

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