「自然音を左脳で聞く日本語の凄さ」・・・・を読んで |
メイン
2009年11月18日
官僚制に決め手なし!~近代欧米官僚制の考察
『官僚制の歴史~官僚制と試験制の弊害とその突破口を探る』シリーズもいよいよ佳境、10回目を迎え、残すところあと3回となりました。今回は、中国の科挙制度を引き継いだといわれる、近代欧米の官僚制について考察してみたいと思います。
国によって程度の差があるとはいえ、「官僚=エリート」という構図が各国共通です。現代における「エリート養成国家」といえば、まずはフランスです。その最高機関といえる国立行政学院(ENA)を紹介します。
●エリート大国、フランス
ENAの場合、1999年は995人が願書を出し、55人が合格した。卒業生はエナルクと呼ばれ、保革を問わず政財官界に君臨している。(ジスカールデスタン、シラク、ジュペ等)
ENAの創設は第二次世界大戦後のフランスの国家的事業であった。ナチ・ドイツに占領を許したのはエリートが責任を果たさなかったからだとエリートを断罪。エリートがだめな国はだめになるという、という反省から、ドゴールによって創設された。
ENA卒業生の総数は2000年現在で5085人。1999年現在4333人が現役として活躍している。85%が官僚で、このうち36%を女性が占める。
日本の東京大学は、毎年1学年3000人を受け入れるそうです。それとくらべても、1学年55人という数字は、競争の過酷さを物語っています。さらに卒業試験で再度、ふるいにかけられ―。それを乗り越えれば「バラ色の人生」が約束されています。
会計検査院と参事院(内閣法制局と最高行政裁判所を兼ねる)、財務監督官は制度的に各省庁の上に立ち、フランスの官僚制度の頂点を成している。
ENAでは卒業するとき、学生が席次順に希望の官庁を指名でき、成績上位者の多くが、これら三機関のいずれかを希望する。三機関は、毎年数人ずつしか採らないので、席次が後だと採用されるチャンスはない。
フランスでは公職の兼務が二つまで(以前は三つまで)認められているため、国民議会の議員の大半は地方議員や市町村議員、市長などを兼任している。シラク大統領も首相時代にパリ市長を兼任していたが、92年の60歳の誕生日を迎えるまで会計検査院の検査官の地位も確保していたことが最近、判明した。シラク氏はつまり、定年を届けるまでは、選挙で国民議会の議席を失っても、「ただの人」にならず、いざというときには、会計検査院検査官という高級官僚の身分にいつでも復帰できる状態だったというわけだ。
エリートの上がりが「大統領」、というのは、わかりやすい構図です。
公職就任を複数認められた超エリートたちは、将来的にも身分や地位が約束された存在であり、日本のように「天下り先の確保」などという目先の私権獲得に奔走する必要はなく、本業に専念できるという可能性もなくはない。しかし、ここ10年は、エナルク自身から、小数エリートが支配するフランス病への痛烈な批判が相次いでおり、それを反映してか、今のサルコジ大統領はエナルクではなく、パリ大学卒という事実も一方ではあります。
次にイギリスをみてみます。ドーバー海峡を渡る前に、応援よろしくお願いします。
●イギリス~官僚人事の政治化
イギリスでは、1980年代のサッチャー政権以降、大臣と官僚の力が逆転しています。
イギリスの大臣と官僚の関係は、1980年代のサッチャー政権が出現する前と後では大きく違う。サッチャー以前の官僚、とりわけ1950年代、60年代の頃の官僚は、非常に大きな力をもっており、実質的には官僚が大臣を操作していた。
「官僚は、自分たちが国を動かしていると本当に信じ、大臣を自分たちに合う型にはめこんできたという点に注意しなければならない」。これがサッチャー政権の最初の認識であり、官僚機構の改革に取り組んでいった。とりかかりは、官僚の人事への介入であった。それまでの大臣たちは、官僚の人事は官僚に任せてきた。が、サッチャー首相は、人事院を内閣府の中にとりこみ、自身が人事の承認権を発動した。伝統的なエリート官僚ではなく、経営感覚をもった官僚、すなわち政府の政策を効果的・効率的に実施できる官僚に変えようとしたのだ。官僚の任用は確実に政治的に行なわれるようになっていった。
次のメジャー政権では、官僚の幹部ポストの人事は、公開の競争で行なうようになった。順次、部長、局長、次官に昇進していくというのではなく、それぞれのポストに空きが出ると、その該当者を公募で選定するようにしたのである。
こうした官僚人事の「政治化」のなかで、大臣が官僚の助言を受けて意思決定をするという伝統的な関係は次第に姿を消すようになった。大臣は政策決定に関しては、総じて官僚の助言を聞くということはあまりなくなった。それよりも各省庁の閣僚をはじめとする大臣・副大臣たちが特別アドバイザーの意見を聞いて議論をし、自分たちで意思決定するということが多くなった。1990年代には、官僚は、決定された事柄を整理し実行する存在に、言い換えれば、意思決定という政治の分野から外され、政策を実施するという行政の分野に限定されるようになった。
人事権の掌握、いわば首根っこを押さえつけられた官僚は、アタマは不要、手足として必要、という文字通り行政マンとしての役割を割り振られることになりました。まさに、官僚人事の政治化。現在、日本の民主党がモデルとするのは、イギリス型のように思います。
ブレア政権では各閣僚はふたりまで特別アドバイザーを任用することができるようになりました。そうなると当然、閣僚の意に沿ったアドバイザーが重用されることになり、新たな問題が浮上しています。
さて、お次は北海を渡り、ふたたびユーラシア大陸、ドイツです。
●州行政がすべてのはじまり~ドイツ
神聖ローマ帝国の庇護の下、封建領主によって地域がおさめられていたという歴史をもつドイツは、国家社会主義=ナチズムの反省もあり、戦後、強固な連邦制を採用します。
連邦制を採用するドイツにおいては、すべての州(16)の存在を基にして連邦と州の関係が構築されていることから、立法、行政、司法の各方面にわたって、州が重要な機能を担うことになっている。ドイツ基本法によれば「国家的機能の行使および国家的任務の遂行は、この基本法が別段の定めをなさない限り、州の権限に属する」。
戦後日本の歴代総理大臣をみると、地方自治の経験者は、竹下と細川のふたりのみであるが、ドイツにおいてはむしろ、州行政の経験のない連邦政治家の方がめずらしい。戦後ドイツの連邦首相は、一人の例外もなく、地方政治、地方行政の経験者である。
中央集権的なものは外交や安全保障等に限定され、多くを州にゆだね、それは「地方主権王国」といわれるほどです。特権階級への権限集中を抑制する体制ですが、日本でくすぶり続ける道州制は、ドイツ連邦のあり方を参考にしているように思います。
高級職への採用者は、見習い期間を経て10年位で「準課長級」に昇進する。しかし、その後の昇進は保障されていない。本人の努力と能力次第で、事務次官まで昇進する者がいる一方、準課長止まりで定年(65歳)を迎える者も多い。能力と実績が評価されなければ、幹部に登用されないのだ。 日本の国家公務員試験I種合格のキャリア官僚とは違い、「課長以上」への昇進は保障されていない。日本では採用時の一回の試験で、将来の昇進度が決まる。キャリア官僚は、上はトップの事務次官から下は課長以上と、例外なく幹部となる。ドイツの制度は、日本に比べ幹部への競争圧力は高く、遙かに優れている。
北沢栄「さらばニッポン官僚社会」
官吏は、退職時年収の約七割の恩給を終身受けることができます。 この手厚い待遇から、官吏が再就職することはまれであり、ドイツの官吏は生涯、官僚人生を全うするといわれています。 “終身官吏”として身分保障される官吏は、これと引き換えに、節度と自制が厳しく義務付けられています。
急ぎましょう。大西洋をひとっ飛び、アメリカです。
●高級官僚総入替え~アメリカ
アメリカは、政権党が替わる毎に官僚(主に局長以上)も総入れ替えとなります。その数およそ3000といわれており、大統領選が終わるやいなや新大統領が所属する政党は、タダチに人選に入ります。「猟官制」と呼ばれるこの方法の起源は、1829年の第7代大統領ジャクソンに遡ります。
家柄や財産ではなく、自分の力で成功した彼のような人物が大統領となったことにより、確かに、アメリカの政治は一大転機を迎えます。と言うのも、ジャクソンは職業としての政治家だったからです。ワシントンは、それまで、富裕な南部の大農園主に独占されていました。けれども、ジャクソンは政治で生計を立てる職業的政治家だったのです。
ジャクソンは、政権が交代した際に、政治官職を全面的に入れ替える猟官制(spoils system)を採用しています。従来、ワシントンは、大統領が代わっても、大幅な人事異動がなく、癒着から汚職や不正が蔓延していたため、それ改善するというのが名目でした。しかし、党派的忠誠度によって人事を決める現在まで続くこのシステムは、汚職追放を理由に何度か改正されたものの、無批判的だったり、功名心旺盛だったりする人物が政権内に入ってしまうだけでなく、場当たり的な政策が横行する原因にもなっています。
彼は主観性に基づき、信念でのみ政治を行っていたにすぎません。結局、政敵は一掃され、イエスマンだけが残り、自分に忠実なマーティン・ヴァン・ビューレンを大統領の後継に指名します。
「人材の流動化」というのは耳障りのよい言葉ですが、実体的には大統領(or政権政党)の私設応援団であり、「政府官僚」を自らのキャリアアップのステップとしてしか捉えられない個人の集まり、と捉えることもできます。アメリカにおいては、長期スパンで自国のことを真剣に考える、という態度は既に180年前に放棄され、官僚=エリートたちはひたすら個人自我の実現に埋没し続けてきた、ということではないでしょうか?
以上、欧米の代表的4カ国をみてきました。お国の成り立ちやどのように過去の戦争を総括したか?という国民性により、中央集権、地方分権、キャリアアップ型、公募型、ヘッドハンティング型、さまざまです。しかし、どの国も問題を抱え、岐路に立たされているのも事実で、コレという決め手はありません。どうやら、官僚機構というものは、「民意をつかめない」という決定的かつ構造的問題を孕んでいるようです。
うらら
投稿者 urara : 2009年11月18日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/11/960.html/trackback