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2013年12月05日

日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~ 1、プロローグ

みなさんこんにちは。
今年も残すところ後ひと月となりました。みなさんはどんな一年でしたか?
上半期は、特にいじめや体罰問題が世の中を騒がせました。
歪む教育現場、それに対し文部官僚や教育委員会の対応は現場などどこ吹く風で全く無能といってよく、教育行政の現実に暗澹たる想いを抱いた方も多かったと思います。
下半期で印象的なのは、参院選での安倍首相率いる自民党の圧勝、そして暴走です。
TPPや秘密保護法等、私達の生活に直結する問題がろくに議論も説明もされずにどんどん進んでゆく。ここに特権階級の暴走と傲慢さを感じた方も多いはずです。
そこで、今回から始まる新テーマは、「教育」、その中でも、特に支配者、統合者の教育である「帝王学」を扱いたいと思います。
題して、 
『日本の帝王学~各時代における支配者層の教育とは?~』
です!
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さて、改めてなぜ今、教育、中でも「帝王学」を扱うのでしょうか。
まずはそこを考えてみましょう。
皆さんは「帝王学」と聞いて何を想像しますか。
王侯貴族の伝統と格式、戦国大名の家訓、経営者やエリートの心得、落合監督や星野監督の名言集等々、
皆さん様々な物を思い浮かべると思います。
ウィキペディアで「帝王学」を調べると・・・
帝王学とは、王家や伝統ある家系・家柄などの特別な地位の跡継ぎに対する、幼少時から家督を継承するまでの特別教育を指す。
学と名はついているが明確な定義のある学問ではなく、一般人における教育には該当しない。

具体的には突き詰めたリーダーシップ論とでも言うべきものである。
経営術や部下を統制する方法といった限定的なものではなく、様々な幅広い知識・経験・作法など、跡継ぎとしての人格や人間形成に到るまでをも含む全人的教育である。
また、いわゆる学校での教育という概念とは根本的に異なり、自分の家系を後世へ存続させ繁栄させる、という使命感を植えつけることを目的としている

とあります。
共通するのは、「統合者の素養・上に立つ者の心得」という点です。
つまり「帝王学」とは単に私利私欲を達成する方法論ではなく、的確な状況認識を元に皆を統合し導くという「追求力」「統合力」「前進力」を示す言葉と言えそうです。
ところが現代、一流大学や先代から「帝王学」を受けたはずの政治家、官僚、の思考は自らの保身と私権一辺倒で、とても集団を導く気迫や大局的な視野があるとは思えません。
経営者もしかりで、先代から受け継いだ「帝王学」が、実はなんの使い物にもならない事に気づいている人も多いはずです。
現代社会の諸問題や閉塞感、その元凶である特権階級の暴走の一因が、この役に立たない「帝王学」とにあることは明らかです。
昨今の政治や経済は、特にこの暴走が甚だしく、だれもが不安に思うところです。
ここで、二つの訓示を紹介します。

その①
・神仏をうやまうこと
・朝は早起きすること
・夜は早ねすること
・顔をあらうまえに、いちおう家の中を見回り、掃除すべきところを命じてから、すばやく顔を洗え
・神仏をおがむこと。それは身の行いを慎ませるのに効果がある
・服装はことさら飾り立てるな。他人を見てあれと同じに良くしたいと思うな。他人に見苦しい印象さえ与えなければそれで十分と心得よ。
・髪の毛を整えるのはできるだけ早くせよ。見苦しくしておくことは自分自身、油断していることである。召使までがそれに染まる
・城中へ出仕した時、主人の前へすぐいくものではない。まず次の間に控えて他の同輩たちの様子をよく見てからまかり出よ。
・主人が何か言いつけたら離れた所に控えていても、その時はまず早く「はい」と返事をし、側へ寄って慎んで用事を聞け。用事を果したなら、あったとおりのことを報告し、決して自分の才気をひけらかそうと大げさに言ってはならない。また事の次第によってはしかるべき人に相談のうえ報告せよ。自分ひとりの独断におちいってはならない。
・人目にたつところで、つまらぬ話をしている人間がいたら、近寄らずに避けて通れ。まして自分も一緒に仲間に加わりしゃべったり笑ったりしていたら心ある人々に見限られるぞ。
・いろいろなことを一人でしょいこんで何もできぬのは愚かなことだ。しかるべき人間にまかせるべきである。
・少しでも暇があったなら良く勉強せよ。
・長老の側を通るとき腰を少し曲げ手をついて通れ。いばって足音高く通ると思いがけぬしっぺ返しを受けることがある。その他誰に対しても丁寧な態度をとれ。
・和歌の心得が無いのは恥ずべきことである。学ばなければいけない。そして常に言葉を注意して使う習慣を養いたとえ一言たりとも迂闊に物を言うな。うっかりしゃべることで、自分の心中の秘密をたちまち悟られてしまうことがあるのを忘れるな。
・仕事の合間には馬を乗りこなせるよう稽古せよ
・手習い、学問においては良き友を求めよ。碁・将棋・笛・尺八などの付き合いでは悪い友達を避けるようにせよ。三人人間が集まれば必ず一人は手本とするところを持っているものだ。それを学び取れ。。

その②
1.心に物なき時は心広く体泰なり  
2.心に我儘なき時は愛敬失はず  
3.心に欲なき時は義理を行ふ  
4.心に私なき時は疑ふことなし  
5.心に驕りなき時は人を敬ふ  
6.心に誤りなき時は人を畏れず  
7.心に邪見なき時は人を育つる  
8.心に貪りなき時は人に諂うことなし  
9.心に怒りなき時は言葉和らかなり  
10. 心に堪忍ある時は事を調う  
11. 心に曇りなき時は心静かなり  
12. 心に勇みある時は悔やむことなし  
13. 心賤しからざる時は願い好まず  
14. 心に孝行ある時は忠節厚し  
15. 心に自慢なき時は人の善を知り  
16. 心に迷いなき時は人を咎めず

いかがでしょうか。
訓示といいながらどちらも分かりやすく、そしてやさしさと協調性に満ちています。
ところが、実はこれ、どちらも戦国時代の強力な武将の家訓なのです。
その①は、戦国時代初期の武将「北条早雲」の家訓です
その②は、戦国時代後期の武将「上杉謙信」の家訓です
「北条早雲」は戦国時代の幕を切って落とした人物と言われます。権謀術数を駆使し遂には相模・伊豆を手中に収めた、下克上の代表選手の様に捉えられています。
一方「上杉謙信」は戦国時代後期の武将。織田信長や武田信玄をも蹴散らした戦国時代最強の武将で、500年たった今でも大人気の人物です。
興味深いのは、私権争いが絶えなかった(と言われている)戦国時代に於いて、その時代のエースである早雲公、謙信公の家訓が意外にも集団内規範と共同体精神に満ちているという点です。
これでは、戦国時代よりよほど「平和で民主的」なはずの現代の政治家や官僚の方が、遥かに傲慢不遜に思えてしまいます。
そしてこれは大なり小なり、日本で「名君」とされる人達の名言、家訓に共通して言える内容です。
思えば日本の統治者は皆、決して民を蔑ろにして一方的に苦しめることをよしとせず、民への配慮を忘れない統治運営を行ってきました。
これは温暖な農耕社会、本源性・共同体性の強い国民、という日本独自の風土と社会を統合する、一つの答えであったと言えます。
そしてそれを伝え、深化させていったのが、為政者、統合者への「共同体教育」です。
共同体の規範と精神を礎とした「共同体教育」は、決して下々だけの者ではなく、かつての日本は統合者の精神もまた「共同体教育」によって育まれていたのではないでしょうか。
 
ところが現代のエリート教育にはその片鱗も感じません。
それがいつから変わったのか、どのように変質して行ったのか。
この史的追求が、特権階級の暴走に起因する現代の諸問題の解決の糸口を見いだし、そしてこれから求められる教育の姿を考える指針になるのではないかと考えています。
本シリーズは、以下のように進めてゆきます。
1,プロローグ~なぜ今、帝王学の史的追求が必要なのか~
2、平安時代~平安貴族による安定した社会秩序の形成~
3、鎌倉時代~武家政治の黎明と大衆統合の理念~
4、室町・戦国時代~戦国大名による独自の領国統治とその思想~
5、江戸時代~藩校における儒教を通した教育の実像~
6、明治時代~「富国強兵」。近代国家を担う人材の育成~
7、現代~個人教育の限界と全人教育への転換~
8、古代~飛鳥・奈良~中央集権国家成立の為の共認ネットワーク構築~
9、まとめ

各時代の外圧状況や生産様式と、そこで学ばれていた学問や宗教、さらには支配者層の家訓や心得を紐解きながら、
各時代の「帝王学」に迫ってゆく予定です。
どうぞご期待下さい。

投稿者 yama33 : 2013年12月05日 List  

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