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2009年11月17日

「自然音を左脳で聞く日本語の凄さ」・・・・を読んで

ふだん何気なく使っている日本語・・・。学校で“英語ができなきゃ国際的に通用しない”なんて脅されながら育ってきた身にゃ、ちょっと肩身の狭さも感じることもある。
だけどこの日本語、英語やフランス語、中国語など世界の殆どの言語にはない、凄さがあるということを知った。
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“古池や蛙飛び込む水の音”・・っと。

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「自然音を左脳で聞く日本語の凄さ」  (るいネット 狒狒さんより) 
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脳細胞をパソコンのハードだとすれば言語は基本ソフトOSである、は良く言われること。何を考えるにも言語を使って思考するからですが、もっと深くて、母語が何かによって、脳細胞のネットワークが変わってくる。基本ソフトを間違いなく効率よく動かすために、ハードが最適化されるわけです。
母音を言語脳である左脳で聞くために、同じような音である自然音まで左脳で聞くように脳を組織化している日本人。
子音をより明確に聞くため、子音のみを左脳で聞き、母音や自然音や音楽を右脳で聴く西洋人、アラビア人、中国人、その他大勢。母音を右脳で聞くため、まず右脳から音声が入り、それから左脳の言語野へ移動する。
そのため彼らは言語主体と、認知主体に断絶がある。だから必ず「I」と言う。日本人は認知主体も言語主体も連続しており、あえて言語主体「私」を発声する必要がない。
会話する人同士が周囲の状況を共有出来ている上で言語が成立します。あえて「私が」と言わなくて良いのです。
そして、言語は各民族の歴史風土から創られるもの。日本語は幸い、この日本列島でずーっと発達してきた。歴史風土と断絶が無い。ゆえに、音そのものにニュアンスがあることを日本人同士は了解している。これは世界では希な事なのだ。
また、言語は文字からも規定される。特に日本語は表意文字と表音文字の両方を使い、且つ海外から入ってくる概念をとことん翻訳しながら吸収したために、同音異意言葉が多く、漢字のバックボーンがなければ意味が判らない。常に漢字を頭の中でイメージしながらしゃべっている。ここから図象を扱う右脳と言語脳である左脳を同時活性化する。
文章と絵画の両方に秀でた才人が、普通にいるのも日本人の脳だからだ。
言語脳である左脳で音楽も自然音も聞いてしまい、文章やマンガを読んで左右脳同時活性化させる日本人にとって、右脳マインド、左脳マインドは欧米人のものと少し異なるかもしれません。
何せ、小川のせせらぎを左脳で聞いてしまう脳ですから。
右脳マインドの働きとは?
左脳マインドの働きとは?
これらの特性はお互いに関連しているはずです。
これらが相まって、日本語と日本人の脳が出来上がっている。
明治期に日本語を捨てようとした動きがあったことは、考えればぞっとする。我々は日本語というOSがあって初めてこの日本人としての能力を発揮出来る。
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(引用以上)
日本語のような母音主体で音声を認識する語族を母音語族といい、日本語とポリネシア語、ハワイ語程度しかないらしい。その他子音を主体に認識する語族を子音語族と言うらしい。
なんで 母音語族と子音語族に分かれたのだろうか?
おそらく母音語族のほうが世界的な僻地・辺境にあることを考えると、母音語族のほうが原始的・本源的な形態を色濃く残していると考えられます。
・・・とすると、なんで子音語族が成立したのだろうか?

>世界のほとんどは子音を中心に認識する。ヨーロッパ語もアラビア語も中国語も。口から空気を出すときに障害を作り変化を出すのが子音である。相手との距離を保ち、威嚇する発音体系である。
るいネット 日本語の音声認識が日本人を性格づけている  より
大陸における激しい同類闘争(戦争)により、もともと人類が備えていた同類との同化を著しく困難にした。同類は警戒対象となったことで、相手を威嚇する発音体系に切り替わっていったのではないだろうか?
同時に自然や精霊も、期待し応望した同化対象から、単なる自己便益の対象に切り替わってしまったのではないだろうか?

そう考えると、島国であることで約6000年前から始まった激しい戦争から隔てられ、原始時代から連綿と続く共認(皆で認め合う)風土を持ち、自然や同類とすんなり同化できる日本語を持っていることは本当に一体なんだなと思いました。
・・・・・・歴史や日本の風土や人々に感謝したくなってきました。大切にして、その良さをもっともっと伸ばしていきたいですね。
(by Hiroshi)
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投稿者 ihiro : 2009年11月17日 List  

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コメント

集団規範というときの、「集団」とはいったいどのような範囲なのでしょう。「集団」とは複数あるのでしょうか?
生命としての一体とすれば、全ては一つの「集団」になるのでしょうか?
それとも民族?国家?企業などの組織体?地縁コミュニティー?
「共認」の形成される場としての境界の曖昧なある範囲であるとして、
ではその共認されるべき具体的な内容は何なのでしょうか?
サステナビリティー? 持続可能な社会?
生命は循環再生するものという理解?
規範とは価値基準でもあるでしょう。経済価値だけでなく道徳とか倫理とかも含むでしょう。
さて、感覚的に、正直とか誠実とかが日本人の基層にあるようにおもいますが、これは目指してそうなったというより、自ずからそうなったものという気がします。
集団規範を再構築するというのは、原点の共認内容を吟味していく過程で自ずから形ができてくるような気がします。
以上、思いつくまま長駄文で申し訳ありませんでした。

投稿者 くまさん : 2010年1月18日 18:16

くまさん。たくさんの質問ありがとうございます。できる限りお答えしていきます。
一個ずつやっていきます。
>集団規範というときの、「集団」とはいったいどのような範囲なのでしょう。「集団」とは複数あるのでしょうか?
⇒集団というのを捉えるのに社会と集団という概念で捉えています。社会とは超集団で国家や自治体などを指します。また集団間を繋ぐ団体なども社会と呼べると思います。
次に集団とは日常的に目に見える範囲ということで捉えていただければと思います。数的には数十人から最大100人程度でしょうか。イメージとしては企業や企業に所属する家族などです。地域コミュニティーなども入ると思います。
一方で個人と集団という捉え方もあります。
人類はその歴史の99.9%は本源集団の中で暮らしていました。この数千年間のみ家庭が誕生し、個人という概念が登場しました。つまり対象を捉えるときに個人発で考えるのか集団発で考えるのかという目線の問題です。この際の集団とは自らが所属する生産と生殖を包含した本源集団のようなものです。
現在では生産と生殖が企業と家庭に分断されているので、中々集団発の視点で物事を捉える事が難しくなっています。さらに近代個人主義の個人が原点という観念がそれを決定づけてしまいました。
ただ、企業と家庭の距離を近づけたり、家庭そのものに引力がなくなってきている現在、集団発で考える視点は企業や生産集団発で登場してくるのではないかと思われます。
今日はこの辺までにしておきます。

投稿者 tano : 2010年1月19日 23:33

私は、『食育』と言うことを勉強していて
食と歴史は、密接に繋がっていることに
気付かせて頂きました。
政治や経済も繋がっています。
アイヌ人を始め、原住民(先人)は、
認め愛、許し愛、助け愛、共存共栄(繁栄)して
いました。
仰る通り、物質文明の終わりを告げていると
思います。
きっと・・・
先人達は、一人、一人の心が豊かだったんでしょうね!
改めて先人から学ぶことが
たくさんあると思っています。 感謝
ありがとうございました。

投稿者 つぼみ : 2010年1月27日 23:29

>「共認」の形成される場としての境界の曖昧なある範囲であるとして、
ではその共認されるべき具体的な内容は何なのでしょうか?
サステナビリティー? 持続可能な社会?
生命は循環再生するものという理解?
規範とは価値基準でもあるでしょう。経済価値だけでなく道徳とか倫理とかも含むでしょう。
くまさんへ
2つ目の質問に対して回答いたします。
非常に難しい質問ですががんばります。
まず共認とは何かからはじめます。
共認という言葉は辞書などにも載っていないので、るいネットの定義集から抜粋しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>共認とは、共に認め合うこと。人類社会は、人々が課題や役割や規範や方針を共認することによって、統合されている。共認機能は、元々は、サル時代に不全から解脱する為に形成された機能で、相手の不全(期待)と自分の不全(期待)を同一視する共感回路を原点としている。相手と同化することによって充足(安心感等)を得る機能。正確には、相手の期待に応えて相手の反応を得ること(つまり、期待と応合のやり取り)によって充足を得る機能。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上記から考えると共認とはまず集団や社会が活力をもって存続する為に必要不可欠なもので、課題、役割、規範、方針を共に認め合う中でバラバラにならずに一つの方向に向けて行動していく事のできる人類ならではの機能です。
卑近な例で言えばKYと言われる「場を読まない」という行為は共認という機能を人間が持っているためにそれを使えない人を揶揄した言葉です。最近になってこのような言葉が流行するのも社会が共認をより必要とするようになってきているからだと思います。
また、何の為に共認機能を生み出し、使っているのか?
外圧に適応し、集団として存続していくためです。
人類は500万年前に誕生してから弓矢を発明して洞窟から出てこれるようになるまで、その歴史の99.9%は生きることさえ困難な弱い動物でした。だから共認機能を駆使して言語を発明し、道具を発明し自然外圧に適応してきたのです。
規範とは共認機能を使って課題に対峙していく中で集団内で自然と形成された守るべき法則のようなものです。それは明文化されることは少なく、不文律として人々の共認の中で形成固定されていきます。近代的な価値観と捉えるより、集団で生きていく為のルールといった方が適切ではないかと思います。
つまり、共認でも規範でも個人発で考えると見えなくなります。集団発で考えると、あー、なるほどそういう機能は必要だし当然あるよなーという感じで解ってくると思います。
くまさん、今後ともよろしく御願いします。

投稿者 tano : 2010年1月28日 12:38

つぼみさん。連続のコメントありがとうございます。
>きっと・・・
先人達は、一人、一人の心が豊かだったんでしょうね!
改めて先人から学ぶことが
たくさんあると思っています。 感謝
先人の豊かな心を学ぶ・・・
いい表現ですね。その通りだと思います。
また時々コメントなどをいただけると嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。

投稿者 tano : 2010年1月29日 02:09

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