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2009年02月22日

☆新大陸への移動の時期は?☆

人類の新大陸への移動の時期については、約1万5000年くらい前とする説や、もっと以前(3~4万年前頃)とする説などがあり、未だにどの説もその正しさの可能性を残しつつも、決定打にまでは至っていない状況です。
そこで、私たちもこれまでの新大陸移動の時期に関するいくつかのネタや、新たな資料の探索により、一体いつ頃移動したと考えるのが妥当かを検討しています。
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☆新大陸への移動の時期☆
その検討を行う上での、切り口となりそうないくつかの視点を出してみました。
~移動の時期を検討するにあたっての視点~
●移動の為の障害は?(この障害を解除できた時期が移動可能な時期といえる)
ベーリンジアを渡ってきたのだとすると、北緯60度以北という、極寒の地に進出することが可能になる(適応する)ことが、必要不可欠になります。
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(現在のベーリング海峡)
その、極寒の地への適応の条件とは何か?
→生理的な寒冷地適応だけではなく、石器の発達がもたらした防寒装備がなければ不可能
→では、上記が可能になった時期はいつ頃か(それ以降でないとベーリンジアは渡れない)
ベーリンジアが存在したのは約7.5~1.4万年前。そのうち新大陸(北米)で、ローレンタイド氷床とコルディエラ氷床がくっついて、人類の新大陸での南下の妨げになったと思われる時期は2.1~1.4万年前。その前後は両氷床の間には隙間があり、特に南下の妨げにはならない。
とすると、新大陸への移動はその前か、後なのか、どちらも考えられる・・・?
●シベリアにおける石器と新大陸の「クロヴィ゙ス石器」の時代関係は?
 クロヴィス石器はシベリアの「葉型尖頭器」によく似ており、シベリアでの葉型尖頭器の時代はカルギンスキー間氷期(約5.5~2.5万年前)からサルタンスキー氷期(約2.5~1.5万年前)の頃にあたる。
両者につながりがあるとすると、この時代の石器を持った人類が新大陸に渡った可能性は考えられないか。%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%AA%A8%E3%81%AE%E5%AE%B6.jpg
(マンモスの骨で作った住居の骨格)
●北方モンゴロイドがマンモスを追って新大陸に渡ったのだとすると、マンモスが新大陸に渡ったと考えられる時期は?
 ・そもそもマンモスの「餌場」はあったのか
 ・「マンモス」だけを追ったと考えずに、他の動物を追った可能性は?
  →実は「マンモス群」と呼ばれる動物は、マンモスだけではない。
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   (マンモス)           (アメリカバイソン)
●もとのシベリアに留まれない状況があったのか?
気候の変化、食糧状況、その他の様々な外圧の中から、シベリアに留まれない何かがあったのだろうか?
あったとしたら、それはいつ頃、どんな状況だったのだろうか。
などなど・・・・。
ランダムですが以上のような視点が思いつきます。
今後はこの視点の一つ一つを検証しながら、最も可能性が高い移動の時期はいつ頃なのか、の解明にチャレンジしてゆきたいと思います。
上記以外にもいろんな角度からの視点があれば、皆さんもコメントなり、投稿なりをしていただけると助かります。

投稿者 saah : 2009年02月22日 List  

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コメント

「重陽の節句を祝う」さんが当ブログの記事を紹介していただいています。以下のような記事をお寄せ頂いています。
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「高句麗から出雲および東国へ」、という論より。
~中略~
私の視野は、常に日本国内にしかありませんので、中国や朝鮮半島の国のことを考えに入れていたことがあまりありませんでした。
百済系、高句麗系、新羅系、そういうことについては、正直 知識を持ち合わせていませんが、この記述で、朝鮮半島から渡来した古代の文化は、二種類のルートにより 分別されたものであり、仏教文化も、大和と東国とでは異なったものが存在していた、という見解がある ということを知り、それは、これ迄の私の考えに沿った見方でもあるので、大変、興味がそそられたのです。
仏教と一口で云われているものも、古代日本に於いては 伝わる場所や時間差があったことによる違い、又、勢力集団と大和朝廷との関わり具合によって、些か 複雑な様相を呈する時代があった、という一つの考え方を 私は 持つことが出来ました。

http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/37929194.html#37929194

投稿者 案山子 : 2009年4月1日 22:43

五節句さんから返信が来ています。
転載しておきます。http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/37929194.html#37929194
「縄文と古代文明を探求しよう」さん、訪問頂き有難う御座います。
今、そちらに伺って参りました。まだ、貴ブログの勝手が分からないところがあるのですが、訪問を重ねて勉強させて頂きたいと思います。楽しみになりました。
私も、記紀にある仏教関連の記述では、あまりに情報が希薄であると思い、以前より、このブログで 好き勝手に考え乍ら書いています。
考えることが、私には、汲めども尽きぬ愉しみです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
五節句さん、今後ともよろしくお願いします。

投稿者 案山子 : 2009年4月2日 20:33

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