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2008年12月27日
番外編 DNAから人類の拡散を探る
さて、これまではミトコンドリアDNAからの研究をもとに、新大陸への人類の拡散を探ってきました。すでに紹介はしていますが、同様の研究でY染色体による、人類の拡散を探る研究が行なわれています。
今回は、番外編として 紹介します。
その前に・・・・
ミトコンドリアDNAによる研究は、このDNAのサイズが小さく、変異の蓄積のスピードが、核のDNAより格段に早く、ようは、研究しやすい物だという事でしたね。ただし、女性にしか伝わらない物であるので、反対に男性だけの物での研究として、Y染色体が取り上げられています。
Y染色体は遺伝子数が70程度、その中で5000万塩基体
小さな染色体ですがミトコンドリアDNAと比較すると3000倍の大きさがあり、その為もあって研究が遅れていました。しかし最近はかなり進んできています。その中で
Y染色体による研究結果整理し、ミトコンドリアDNAの結果との比較をしてみます。
1:現生人類の共通祖先はどこで、いつ生まれたのか?
DNA:約10~20万年前のアフリカ(ミトコンドリアイブ)
Y染色体:9万年前のアフリカで誕生
多少の差はありますが、男女が同じ時代になる必然性は無いといわれています
2:いつアフリカを離れたのか?
DNA:8万5000年~5万5000年の間
Y染色体:約6万8000年前
これはDNAによる年代のY染色体は中間を行っています。
2:ハプログループ
DNA:大きく70ぐらいから、サブグループを含むとその3倍ぐらいか?
Y染色体:AからRまでの18の大分類、その下に153のハプログループに分類
分類の数は分類の仕方によるのでしょうね。大小は関係なく、対象は異なるが、分類の概念は一緒という事です。
4:拡散ルート ローカスより
http://www.rocus.co.jp/dnatesting/ychromosomal/haplotype.htm
ミトコンドリアDNAの拡散ルート
Y染色体の拡散ルート
上記を見ると、よく似ています。ただし、分岐の年代にはズレがあるようで、この点は更なる研究が必要のようです。
このように見てくると、かなり似通った結論が出ている事になります。お互いがお互いの研究の傍証になっているようです。
どちらにしても、単独で、全てがわかる物ではなく、更に多くの人のデーターを分析していく必要があり、考古学的な発見によって相互に確かめられる事が必要です。
来年は、この辺の考古学的発見があるといいなと思います。
投稿者 dokidoki : 2008年12月27日 TweetList
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コメント
投稿者 五節句 : 2009年4月18日 13:00
五節句さん、コメントありがとうございます。
現在は、引き続き、武士の起源を追及している最中です。
武士の起源は「俘囚」であるという説があります。
俘囚とは、奥州における蝦夷征服戦争の中で生じた大量の「帰服蝦夷」を指します。
当時、国は、これら俘囚を強制的に全国各地に再配置(内国移配)し、税を免除し生計費(俘囚料)を与えて扶養し、地方の受領の傭兵的な武力として、群盗海賊鎮圧に当たらせていたようです。
非農業定住民特有の「野性」や、卓越した「乗馬」と「騎射」の技術を、彼らはどこで獲得したのか?
これを追求していくと、遊牧→騎馬民族という形で蒙古とも繋がるかもしれませんね。
投稿者 なおと : 2009年4月21日 21:36
はじめまして、
群馬県伊勢崎市に、住む歴史オジンです。
群馬の古代歴史を ネットで調べていたら、偶然、ここを見つけました。私の長年の疑問が 解け、あまりのおもしろさに 興奮して 一気に読みました。
ーーーー
約、20年前、NHKラジオの昼の民謡番組での ことです。
昔、群馬県から長野県へ到る道筋で歌われていた民謡(馬子唄か?)が モンゴルのある地方の古い民謡と 大変似ている、という話でした。群馬には大胡という町が有ります。ここは古代、大陸の胡の国の人が移住して 馬を飼育していた、との伝承が、、。貴殿のブログを読みやっぱりそうか、、と、、。それで 失礼を承知で メール致しました。 今夜の酒は 格別の味になりそうです、、、笑い、、。
投稿者 平えみし将成(ブログ名) : 2011年6月17日 18:34
ミトコンドリアとY染色体の追跡調査で人類の起源と足取りがわかるのですね。
すごいことです。
投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2014年8月1日 23:39
ミトコンドリアとY染色体・・男と女の渡来歴史がずれているというのが面白いですね。ここに何があるのか・・。さらなる追求が待たれますね。
投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2015年4月29日 21:52
DNAレベルでは民族の差別はあまり意味がないdrすね。
投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2018年8月8日 03:07
関東・関西・・・何かと合わない感覚は、結構根が深い ~ ~ 同感致します。
‘毛人’ の ‘毛’ という文字は、現在も土地の名称に用いられています。
上毛野国(上野国、現在の群馬県)、下毛野国(下野国、現在の栃木県)ー ー ー カミツケノクニ、シモツケノクニ、です。
‘ケ’、と云う呼び方にどの位の古さがあるのかを知りませんが、万葉集では、‘モ’ と云う時に ‘毛’ の文字を用いています。
五世紀頃の東国と高句麗との関連についての一連の記事を、こちらのブログで読ませて頂いて、群馬県や栃木県、埼玉県には、高句麗の文化の移植が見られることを知りました。
‘モ’ と発音する時に連想される国があると思います。
「蒙古」 です。
大和朝廷の背景にも大陸文化の存在があったとして、東国を ‘毛’ の国、と云って区別しようとしたことと、中国がモンゴルに登場した強国を ‘モウコ’ と呼んだこととは、ひょっとして同じ言語感覚なのではないでしょうか。