アイヌ民族は縄文人の末裔か?2 ~「アイヌ論争」~ |
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2009年11月30日
素人の創造シリーズ1~素人は、全てを生み出すことが出来る
官僚主導から政治主導。自民党から民主党への政権交代で国民が期待していることの一つにこれがあります。たぶん、プロと称する特権的な人たち(=官僚)が作ってきた制度や仕組みが大きな社会のひずみを産んだので、それを素人(=国民の代弁者である政治家)の手に取り戻そうというような国民の期待が込められているのではないかと思います。
少し、書き出しが飛躍したように思うかもしれませんが、縄文ブログの目的は「人類はどこで道を誤ったのか?」を明らかにすることにあります。つまり、素人の「政」がいつからプロの専任領域となったのか?素人には何が出来るのか?…など「素人」の可能性についてもう一度と考え直す良い機会なのではと思います。
現代は、物事を創造するのはプロの仕事で、素人には創造できないと思いがちです。果たして本当にそうなのでしょうか?
私達が何とか振り返ることが出来そうな最も古い時代を「縄文時代」とすれば、この時代はまさしく素人がすべてを創造していた時代ではないかと推測できます。岡田淳三郎氏の「素人の社会活動」シリーズ(るいネット)を縄文時代と重ね合わせることで、「素人」の持つ意味や可能性を考えていきたいと思います
素人の社会活動 素人は、全て生み出すことが出来る
☆最大の壁は、「素人には、中身を生み出せない」(→「中身がない方が、繋がり易い」)という壁である。
☆だが、中身とは何か?
☆素人こそ、中身を生み出してきた。集団を作ってきた。歴史を作ってきた。
1.素人の生み出す最大のものこそ、人間関係(繋がり・広がり期待と応望の充足)である。
素人が生み出す最大の価値こそ共認充足であり、素人にできる最大の活動こそ応望性の発現である。
2.素人が生み出す次の原基的な中身は、評価(共認)と規範(共認)である。
これらの中身の変革(移行)は、素人の潜在思念の(状況認識によって濾過された)可能性収束→変異した行動の発現を通じて行われる。
注:例え最初に行動した先駆者が一人でも登場すれば、そしてそれが有益(有意義)なら、忽ち評価共認されて、規範を塗り替えてゆく。
☆現在すでに、評価共認=いい人(応望者)収束は始まっている。そして彼らは、男女関係や仲間関係etc生活(実践)に直結した、物事の新しい受け止め方や捉え方=規範的な認識群(その基軸は『応望』⇒『役割』であり、その根拠は実現論にある)を生み出すことが出来る。
☆また、るいネットへの投稿も、概ねその様な物事に対する受け止め方や捉え方の提示であり、規範的な価値軸の模索と見ることが出来る。(☆街のカリスマや、テレビの有名人の語る言葉も、注視の要あり。)
∴評価形成(皆で作る検索サイトや、ML・会議室でのいい人収束)に続く次の次元(or課題)は、規範形成である。
従って、規範的な認識(『応望』や『役割』を基軸≒価値軸とする、物事の受け止め方、捉え方、心の持ち様)を生み出すことが、MLや会議室(現代板)の主調(or目的)となる。
この投稿を読むと、やはり、中味を作ってきたのは素人だと再認識させられます。
確かに人間関係や共認充足を作り出すのは素人そのものです。
プロとは、素人が作ってきた「中味=繋がりや共認充足」を言葉として表したり、利用して枠組みを作ることで社会統合をしてきたという関係なのだと理解できます。
これから「素人」の持つ意味や可能性について投稿を紹介しながら深めていきたいと思います。
投稿者 hiroshi : 2009年11月30日 TweetList
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コメント
投稿者 火の鳥 : 2010年2月2日 22:09
私権文明の進化を考えた時、科学技術の発達などのプラス面に意識が向き勝ちですが、一方で、戦争や環境破壊、経済破綻など滅亡の危険と隣り合わせの文明でもあります。
「プラスマイナス」があると言ってしまえばそれまで(思考停止)ですが、この記事が示しているのはもっと基底的な原因構造ですね。
女を本源集団から離す(遊牧生産の集団様式)
↓
性的自我
↓
性闘争の発現
↓
本源集団の破壊
↓
私権秩序VS性的自我
(それ以前の共同体社会と比べれば)私権文明は、(現代まで通して)集団を破壊するベクトルが常にその中にある。だから危険な状態になっているという事がわかりました。
⇒だとすれば、本源集団を再構築するのが答えになる!
投稿者 東麓金鶏 : 2010年2月4日 19:17
文明の発達→貧困の消滅→私権の衰弱という現在の状況を見ると、パンドラの箱を開けて性闘争を顕現させた人類は、その一方で自浄作用として私権文明を作り上げることで5000年の歳月をかけて(=豊かさの実現をもって)自我・私権の統合を解体し、すべての邪心の源である性的自我を再び封鎖しようとしたようにも思えます。
あとは、邪心集団である私権国家が文字通り世界中のすべての本源集団を完全破壊するのが先か、文明の発達による市場拡大が豊かさ実現をもって私権国家の息の根を止めるのが先かの競争と言えるのではないでしょうか。