シュメール以降のメソポタミア宗教 |
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2008年10月20日
「領(し)る」を「知る」に変えた日本人
日本人は、大陸から文字が伝わり、どのようにそれを取り入れていったか?仮説的な論考があったので、アップしてみます。
縄文時代…「支配」という圧力とは無縁だった、彼らの意識構造を垣間見ることができそうです。
参考サイト
古橋信孝『「知る」ー和語の文化誌』を読んでから抜粋させて頂きました
byさーね 😮
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実際、文字が中国から伝わったものである以上、「(字を)書く」と言った事象自体、従来の列島には存在しなかったことは自明である。従来、「(痒いところを)掻く」とか「(茶碗を)欠く」、せいぜい「(絵を)描く」と言った意味しか持たなかった「かく」という「和語」に対して、それを「書」という漢字の訓読みに当てることによって、従来、その語になかった意味が付与されたのであり、このようなことは多くの「漢語」と「和語」の対応関係に当てはまるもと考えるのである。
筆者がこの一文を書くにいたった直接のきっかけは、教科書に掲載された国文学者・古橋信孝の「知る」という「和語」についての随筆を授業で取り上げたことであるが、その中で、古橋は古語の「知る」は「領有する、支配する」の意であることは、「古典の一般認識になっている」と述べた上で、和語の「シル」がそのような意味を持つようになったのは、大和朝廷による列島支配が成立して後の段階においてであり、それ以前は「生まれる」とか「生まれたままの真っ白な状態」を意味していたと主張する。
「シル」という和語の原義についての古橋の所説については、よく筆者の判断できるところではないが、実際、「領有」とか「支配」という実態どころか、萌芽さえない段階においては、当然そのような意味の言葉は成立するはずはないのであり、その意味においては、たとえ同じ「シル」という語が存在したとしても、それは「領有」とか「支配」とかいう意味を持たない。列島主要部において、「支配・領有」という実態が芽生えて初めて「支配・領有」を意味する言葉も成立しうるのであり、その意味では、古橋の指摘は傾聴に値するものと筆者は考える。
さらに、古橋の論を筆者なりに進めて行けば、『岩波古語辞典』などは、「しる」について「領る・知る」と訓じ、「領有する、支配する」の意とともに、一応、現在一般に認識されている「知る」の意味も載せるのであるが、どうも「領有する・支配する」(つまり「(自分の)ものにする」)の方が、「しる」という語の意味としては古く、現在の「(一定の情報を)知る」の意は、後になってから付加されたものと考えざるを得ないのである。
そして、おそらく「しる」という語に、現在の「知る」の意を付加したものは、「知」という漢字の伝来である。この「知」という漢字の意味について、「(一定の情報を)自分のものにすること」、当時の言葉で言えば、「(一定の情報を)『しる』こと」と説明された結果、「知」という漢字はやがて「しる」と訓読みされ、それに従って、和語の「しる」は従来の意味に加えて、現在の「知る」の意味を付加されたものとは考えられないだろうか。
そして、「(土地・人民などの)支配・領有」についても、時代が進むにつれて、その初期の「支配・領有」とはかけ離れた形態のものとなって行き、もはや「しる」という言葉で表現できなくなった時、この「しる」という言葉からは、「支配・領有」といった意味あいは消滅し、現在の「知る」の意だけが残るにいたったのではないか。
以上、抜粋
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日常、良く使っている”知る”に、領有・支配等という意味が含まれているとは思いもよらなかった。これが、我々の実感だろう。恐らく、成立過程において、以下のような日本人の意識構造が「領有・支配」という意味を消し去ったのではないだろうか?
この国は私権価値をちらつかせたところで大衆は付いてこない。邪心をもってやってきた侵略民さえも、この国を統治するためには本源性に同化せざる得なかったのだろう。
本源の前では私権価値も無力
るいネット
単純だ。日本人にとって「領有・支配」という概念は無意味だったのだ。だから、単に「知る」という意味になったのだと思う。古橋氏の言葉をかりれば、なんの迷いもなく「生まれたままの真っ白な状態」から「知る」という意味を深めていったのではないだろうか。
投稿者 sawatan : 2008年10月20日 TweetList
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