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2010年04月25日
シリーズ:『イスラムを探る』 第1回 イスラム社会ってどんな社会?
イスラム世界といえば、豚肉を食べてはいけない、一夫多妻制、女性は肌を見せてはいけない、断食、ジハードなどなど日本で生活している私達からみると、ちょっと変わった世界観をイメージしてしまいがちですよね
しかし、よくよくイスラム社会を調べていくと、集団を統合していく上ではかなり理にかなったものである ことがわかります
そのようなイスラム世界観を追求していく上で、避けては通れないものの中に、イスラームの教え(イスラム教)があります。
そこで今回は、イスラム教の形成過程を簡単に押さえた上で、イスラム世界の詳細を記事にしてみます その前に、いつものやつお願いします
ありがとうございます
それでは、さっそくイスラム世界に触れていきましょう
イスラム教の形成過程
イスラム教は、(唯一神)アッラーの啓示を受け、預言者となったムハンマド(またはマホメット)という人によって広められました。
あくまで、ムハンマド(マホメット)はイスラムの教えを説く「預言者」であり、キリスト教のイエス、仏教のブッタと違い超越者として神格化されていないのが特徴的です。
40歳から布教を開始したと言われるムハンマド(マホメット)。
彼の生涯は一体どのようなものだったのでしょうか?
・ムハンマド(マホメット)は、西暦570年頃にアラビア半島のオアシス都市メッカに生まれ、前半生は普通の商人として暮らしていました。
・40歳の頃、洞窟で唯一神アッラーの啓示を大天使ガブリエルから受けます。
・それから数年後、アッラーの教えに基づく本格的な布教活動を開始するのですが、当初の教えは、最後の審判(=世界の終わりに神さまが、人々に対して天国行きか地獄行きかを裁くこと)とそれに対する備え(=日常の行い)に関するものが主だったようです。
・しかし、その説くところが、偶像崇拝の否定、退廃した社会倫理の立て直し、困窮の廃止、富の分配の公平化など社会矛盾に向けられると、メッカの支配層から迫害を受け始めました。
・そこで622年にムハンマドは信者たちとともにメッカの北にあるオアシス都市メディナへ出奔し、ウンマという信仰共同体を築きます。
・その後、メッカとの抗争を繰り返す間にメディナでの支配権を確立します。
・メッカを征服したのに続き、アラビア半島の全域を支配下に治めました。
・そして632年、最後のメッカ巡礼を行った後、生涯を閉じました。
ざっと、ムハンマドの生涯を追っていきましたが、ムハンマドについての詳細はまたどこかの機会で記事にしていきたいと思います。
戒律と日常実践(=六信五行)
イスラム教が他の宗教と異なる大きな点は、『具体的な行動規範=生活規範』を示していることにあります
つまり、イスラム教は信仰だけあれば足りるとする宗教ではないのです。
聖と俗、肉体と精神を不可分のものとする考えから、信仰を心のうちだけにとどめず、具体的な行動で示すよう教えているようです。その信仰の内容と行為のうち、特に神への奉仕に関わるものが、六信五行と呼ばれています。六信五行は、イスラムの聖典にあたる「コーラン」に記されています。
六信とはイスラム教信徒(ムスリム)として必ず信じなければならない六つの事柄となっています
ちなみに六信は、
神(アッラー)
アッラーは、全宇宙の創造主、全知全能の神である。
【(偶像崇拝の排斥)祈る時は直接アッラーに呼びかける。偶像を仲介しない】
天使(マラーイカ)
アッラーが光から創造した天使を信じる。
【天使は、アッラーの言葉を預言者に伝える。ジブリール、ミカエル、アズラーイルなど】
啓典(クトゥブ)
コーランなどアッラーが預言者に伝えた啓典を信じる
【旧約聖書の「モーセ五書」、「ダビデへの詩篇」、新約聖書の「福音書」も啓典】
預言者(ルスル)
ムハンマドなどアッラーが言葉を託した預言者を信じる
【その他の預言者:アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエスなど】
来世(アーヒラ)
終末時のアッラーによる最後の審判と、来世を信じる
【正しい行いをした者は天国へ、悪い行いをした者は地獄へ行く】
天命(カダル)
アッラーにより、糧、寿命、幸福度が定められている
【信者は、アッラーに報いる生き方をすること】
となります
これに対して五行とは、必ず行われなければならない五つの行為を指します
ちなみに五行とは、
信仰告白(シャハーダ)
アッラーの他に神なし、ムハンマドはアッラーの使徒なり
【1日に5回唱える】
礼拝(サラー)
1日に5度の礼拝を行う
【メッカのカーバ神殿に向かって行う】/strong>
喜捨(ザカート)
財産に応じて税金を払い、貧しい人や病弱者に施す
【弱者には無条件で手をさしのべる】/strong>
断食(サウム)
イスラム暦の9月に、1ヶ月間飲食を絶つ
【飢えを我慢し、飲食できるしあわせを神に感謝する。日没後は飲食可能】
巡礼(ハッジ)
一生に一度、メッカのカーバ神殿にお参りする
【十分な財産を持っているものと健康な者だけでよい】
となります
5行の第一に挙げられている信仰告白とは、入信の際に必ず行われなければならないもので、礼拝、巡礼、葬儀の際にも欠かせず、日常生活の中でも頻繁に唱えるよう教えられているものです
それは大きく二つの部分からなり、第一の信仰告白は、「アッラー以外に神はなしと私は証言する」という唯一神への信仰であり、第二の信仰告白は、「ムハンマドはアッラーの使徒であるとわたしは証言する」というムハンマドが最後の使者であることを強調するものだそうです
次に、イスラム世界の象徴でもある、イスラム女性の衣装について見ていきましょう。
イスラムの女性
イスラム世界では、多くの女性が紙や肌、身体の線などを覆うベール(ブルカ)を身につけています
これもまたイスラムの聖典にあたる「コーラン」に記されているのですが、女性が顔を見せてよいのは夫や父親、息子、兄弟などの家族に限られるそうです
それではなぜ、そのような教えが記されているのでしょう
その理由は、イスラム教では人間を心の弱い生き物と位置づけており、特に男性は誘惑に弱く大部分の男性は、性の誘惑に負けてしまうと考えられているからだそうです。ならば誘惑にさらされる機会を減らせば、被害にあう人間も減るだろうとの考えから、人が姦通の罪を犯さないように男女双方を戒めるとともに、女性の側に多く規制が設けられたといわれています。
これは、社会の再基底部にあたる男女の性を重要視しており、集団秩序を崩壊しかねない性闘争を封鎖するための一つの規範であると考えることができそうですね 😀
その他にも紹介したいイスラム世界はたくさんあるのですが、今回はここまでとします。次回は、ムハンマドがアッラーの経典を受ける以前のイスラム世界はどうだったのか?を記事にしていきます
これは、見方を変えれば、イスラム教が成立→拡大していく背後にある外圧はなんだったのか に迫るものです 👿
お楽しみに
投稿者 marlboro : 2010年04月25日 TweetList
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コメント
投稿者 匿名 : 2010年7月15日 19:42
縄文には非常に興味がありますが、知識がないのでこれから学んで行きたいと思います。
気候変動により、食料を安定的に確保する縄張りがどのように重なっていき、どのように集団間で対応していったのでしょうか。
投稿者 sinkawa : 2010年7月15日 19:45
海進・海退を繰り返していたんですね。原因はやはり気候変動なんでしょうか?また、その影響はどれ程あったのかも疑問に思いました。
投稿者 dai : 2010年7月15日 19:47
daiさん、コメント有り難うございます
縄文海進・海退についてはhttp://earthorganization.blog25.fc2.com/blog-entry-62.html「縄文海進期における海岸景観の復元 関東平野・古東京湾を例に」に詳しいです。
「約1万5000年前、気候の温暖化により縄文海進が開始し、当時-100mだった海水準は、1万年前の草創期には-40mにまで上昇した」とのことで陸地のかなり奥まで海岸線が入り込んだらしい。
最盛期の6500~5500年前には現在の海岸線から較べると海水面が+5Mくらいの高さだったらしい。
関東では今の大宮や川越あたりまで海だったとのことです
投稿者 ryujin : 2010年7月15日 23:12
>統合力=共認力とすればこの時代の共認力はなにを核にして成立していたのかが興味の湧くところです
縄文はたしかに奥深いですね。特に興味があるのは、「双系社会」「無文字文化」です。
どれも現代社会とは対極の状態で、これでどのように社会統合をしていたのか?追求してみたいテーマです。