地域再生を歴史に学ぶ~第7回 誰のものでもない惣堂をなぜ作ったか |
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2015年02月11日
大共同体「東南アジア」を支えるシステム~落延び民族(O2系統)から、屈強な闘争民族へと変貌したベトナム
●勤勉なベトナム人、戦うベトナム人
シリーズ第6段はベトナムを扱います。比較的穏やかで、のんびりした気質を持つ東南アジアの民族にあって、ベトナムは少し違った民族性を持っているように感じます。ベトナムの人々は日本人と同じで非常に勤勉だと言われます。
少し前まで世界中の企業が中国に進出し、生産拠点にしていましたが、「中国の後」ということで、ベトナムに焦点が当たっているようです。それは、人件費の問題だけでなく、中国人や他の東南アジア人に比べはるかに勤勉であるという点があるようです。おそらく、ベトナムは東南アジアの中でも(中心部が)「北」にあり、相対的に厳しい自然環境が、集団での組織化された生産活動を必要としたということではないかと推測します。
そして、ベトナム人の特徴はその勤勉さに加えてもう一点、「闘争性」です。超大国アメリカ相手に戦い、撤退させたベトナム戦争での強さがあります。圧倒的な国力の違いを跳ね返したその、闘争力はすさまじいもだと思います。 ベトナムは決してメジャーな存在ではありませんが、実は現代の超大国であるアメリカの衰退の原因を作ったとさえいえる歴史に残る勝利だと思います。
●もともとは、北方民族(漢民族)の圧力で逃げ延びた民族(O2系統)
では、ベトナム人は元々闘争的な遺伝子をもっていたのかというとそうでもないようです。ベトナム人はY遺伝子分類で、O2と呼ばれるものが主勢力です。このO2系統は紀元前5000年ごろ江南地方に居住していた民族が北方の漢民族の攻撃を受け、南に逃げ延びたものと言われています。 このとき、南に逃げるのでなく、沿岸伝いに北へ逃げ、山東半島から、朝鮮半島へ逃げたもの、さらに日本列島へと逃げ延びたものも多数おり、これが、弥生文明をもたらした江南人といわれています。(だからベトナム人は日本人と兄弟関係ともいえる。)
実際、O2遺伝子を保持している人々は、朝鮮半島から、ベトナム南部にかけて中国沿岸ぞいに縦長に分布しており、大陸中心部発の圧力から逃げ延びようという意識がよく見てとれます。
つまり、7000年前ごろには漢民族の圧力から逃げ隠れ住んでいた弱小民族であったわけです。
●共同体を基盤に、中国への抵抗を経て屈強な民族へ
そして現代、ベトナムは超大国を相手に互角の戦いをする屈強な民族となって現れたわけですが、それは、中国による支配への抵抗の歴史の中で次第に培われたように思います。
ベトナムへは、前漢の時代に中国が侵攻しその後1000年にわたり支配を続けました。
>ベトナム人にとっての中国からの支配は、とりわけきびしいものだったようです。中国から派遣されたほとんどの官僚は「不正と、残酷と、貪欲」といった言葉で形容される者ばかりでした。<
>中国へ提供する税は、人頭税、土地税、労役などがあり、その他に貢物として、象牙、真珠、白檀、熱帯の果物、金銀細工などがあり、象牙を取るために何人ものベトナム人が危険なジャングル深く狩りに出されました。<
>また、中国への同化政策がとられ、中国の皇帝を天子としてあがめ、絶対忠誠を求められ、公用語を漢字とし、儒教を生活の規範として受け入れることを求められました。<
しかし、中国の唐王朝が衰弱するのに乗じて独立をはたし、その後15回にわたって中国と戦いを交えていますが、その都度撃退するのに成功してきました。
1000年にわたる苦しい時代、そして、その後の1000年にわたる撃退成功の歴史が、落ち延び民族(O2系統)を屈強な闘争民族へと変貌させたといえるのではないかと思います。
●共同体を失った朝鮮、共同体を基盤に闘争民族へと変貌したベトナム
大国の支配と抵抗の歴史という意味では、朝鮮も同じような歴史を辿ったといえますが、ベトナムは屈強な闘争民族、一方の朝鮮民族は力や権力に弱い民族(日本の支配層に受け継がれており、他人事ではない)と成っていると思われますが、何が違ったのか。
直接的なには、朝鮮は華北からの圧力のすぐ近くにあり、その力を見て動かなければ生きていけない(ベトナムは中国と隣接しているといっても、江南のさらに南)ことが大きかった。
しかし、ベトナムはアメリカ相手にも互角に戦ったというところから考えて、本質的には、その共認統合力の強さが考えられる。共同体が破壊されることなく、また、自ら守り続け、それを基盤ににして、中国への抵抗を繰り返してきた。その中で、屈強な民族へと変貌してきた。
改めて考えると、共同体を失ってしまえば、どんなに外圧に強く対応しようと思っても、自ら私権国家になるだけであって、同じ私権国家である以上物量に勝る超大国に簡単には勝てるはずがない。
(相対的に中国から遠いこともあるが、)共同体をを守り続け、そこを基盤に抵抗を続けてきたことで、ベトナムは屈強な闘争民族へと変貌してきたといえそうです。日本がどのような道を行くべきか、学ぶべきことが多い先輩、兄弟だと思います。
投稿者 tanog : 2015年02月11日 TweetList
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