2015年2月5日
2015年02月05日
地域再生を歴史に学ぶ~第7回 誰のものでもない惣堂をなぜ作ったか
前回の記事では一揆を扱い、その本質にそれぞれが独立、自治した惣という共同体同志を結集する共同体を横串に統合するシステムであったとしました。つまり、中世以降の日本ではそれまでの共同体を広く横に繋ぐ体制を模索し、作り出して言ったのです。国家(朝廷)が中国から輸入した仮初めで、実態は混乱の極みをなしていた中世に庶民自ら立ち上がり、その体制化、運営がなされていったのです。
さて、第7回は江戸に行く前に少し閑話休題的な論点を入れておきたいと思います。
惣村の勉強をしていく中で出会った藤木久志の著書「中世民衆の世界」の中から惣堂が書かれてある部分を紹介し、惣堂を通じて、惣村の実態を別の観点から見ていきたいと思います。
福山市の惣堂神社~こちらよりお借りしました。
投稿者 tanog : 2015年02月05日 Tweet